ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2008/04/21  (月) 

羅漢寺(甲斐霊場第64番)

羅漢寺は昇仙峡の中ほどにあります。すごくダイナミックな渓谷ですね、昇仙峡。さまざまな表情を見せる岩に息をのむとはこのことかと思いました。渓谷沿いの道を馬車が行きます。たぶん、週末や観光シーズンは車両が通行止めになって、馬車か徒歩ということになるのでしょう。平日はクルマも入れるとのことで、ちょっとクルマで失礼しました。
 
しばらく渓谷沿いに走ると、小さな吊り橋があります。ここが羅漢寺の入口。広くなっているところにクルマを停めて、そろりとつり橋を渡り、石段を登っていくと本堂がありました。ここは羅漢寺山の麓だそうで、背後にそびえる山は標高1,058メートルあるそうです。
 
平日でも昇仙峡橋を歩いている観光客の姿はかなりありますが、吊り橋を渡って羅漢寺までやってくる人は少なく、静か。ピンポンしても返事はありませんでした。生活用品はそこここに見られるものの、人が住んでいる気配はあまりなく、ひょっとしたら無住なのかもしれません。とはいえ、本堂の向かいにある五百羅漢像の保存庫は扉が開けられ、ガラス越しに拝観できるようになっているので、単にお留守なだけかも。
 
かつては羅漢寺山の一の岳、二の岳、三の岳のそれぞれ小堂があり、山全体が修行の場であったのだとか。いくつかの堂の跡は残っているそうですが、この山に登る元気はありませんでした(-_-;) 
 
五百羅漢は、かつては修行場の小堂に安置されていたそうですが、いま保存庫に残されているのは1体の阿弥陀如来座像と、中は暗くて、数を数えることはできませんでしたが154体の羅漢さんだそうです。いずれも一木造りで、当初は彩色されていたと解説板にありました。製作は1424(応永31)年、大きさもまちまちで表情はすべて異なっています。

 



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2008/04/20  (日) 

高尾山薬王院「春季大祭」

高尾山の稚児行列を見に行ってきました。ケーブルカーで上ったところの十一丁目茶屋から薬王院本堂まで、お稚児さんばかりではなく山伏姿の人や裃をつけた人、ブラスバンド、ボーイスカウトなどが行列を組んで練り歩きます。
 
高尾山薬王院有喜寺は真言宗智山派の大本山。成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに、関東の三大本山です。奈良時代、744(天平16)年に東国鎮護の霊場として開山されたと伝えられています。戦国時代には、北条氏康、氏照親子が厚く信仰していたそうです。

  

1578(天正6)年の北条氏照の文書には「高尾山内の竹林一草たりとも、みだりに伐った者は首を切る」と厳罰を示すものが残されているそうです。だから、寺域に入った途端に「殺生禁断」。これがいままで高尾山の緑の環境を守ってきた要因のひとつだとか。だから、高速道路反対の運動にも力が注がれるのかもしれませんね。
  

  
今日はお祭のある日曜日ということで、かなりの人出がありました。お練は11時からですが、ちょっと早めに着いたので、まずはお参り。高尾山には何回か来た覚えがあるのですが、ひょっとしたら薬王院にお参りするのははじめてかも。横を素通りして、お弁当を広げていたのかもしれません。
 
上っていく道の端に、すみれが咲いていたり、蕨が芽をふいていたり、大いに自然も楽しめます。さすが名刹といわれるお寺だけに、山門も立派。境内に入ると、まずは薬王院のシンボルともいえる天狗様が怖い顔をして出迎えてくれます。山門の中にもやっぱり天狗様がいらっしゃいます。
 

  
この天狗様に守られ、元気に成長するようにとの願いを込めて行われるのが稚児行列だそうです。事前に申し込めば、信徒さんではなくても参加できるとのこと。晴れ着に身につけた子どもたちのかなり長い行列がみられました。中には沿道の見物人ににっこり笑って手を振っていく、生まれながらのアイドル系のお子様も(笑)

  

終点の境内では、町火消しの梯子乗りが披露されます。ちょっと小雨が降っていて、滑って落ちはしないかとハラハラ。わざっと落ちそうにしてみせるドッキリもあって、僧主さんたちも立ち止まって楽しげに見物していらっしゃいました。
  
行列を見てから、高尾山の山頂へ。うす曇ではありましたが、横浜まで見渡せました。遠くに見えるランドタワー。あそこでまた、ベイスターズは負けてるんだよなぁ(-_-;) 

高尾山の主みたいな人と一緒だったので、つつじのきれいな場所やつり橋などをご案内いただき、よくよく考えたら7キロぐらい、アップダウンを歩いたようです。脚が故障だらけの私としては、家に帰りつく頃にはアップアップ、ダウン寸前という有様でした(笑) でも、たまには自然散策も楽しいですね。

 

 



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2008/04/19  (土) 

塩澤寺(甲斐霊場第63番)

湯村温泉にある塩澤寺は、厄除地蔵といったほうが通りがいいようです。このお地蔵様は毎年2月13日と14日だけ耳が聞こえるようになり、願いごとを聞き届けてくれるというので、この日はたくさんのお参りがあるそうです。このお祭ではお寺周辺にはたくさんの露店が立ち並び、活況を呈すといいますが、いまは耳をふさいでいるお地蔵様のいるお寺も静か。
 
山を背にしたお寺で、立派な山門をくぐり境内へ行くには、長い石段を登っていきます。正面が地蔵堂。内部は室町末期の特徴を残していて、国の重要文化財だそうですが、いまは固く閉ざされていました。
 
庫裏の前にある「舞鶴の松」という松の枝ぶりが見事。県の指定天然記念物になっています。樹齢450年以上といわれ、枝は30メートルぐらい伸びています。鶴が翼を広げて舞い上がろうとする姿に似ているところから舞鶴の松と呼ばれています。
  
地蔵堂から奥へ入って行くと、自然散策路が広がっているようです。私たちは不精にもクルマで霊場めぐりをしていますが、ゆっくりと散策しながらのお寺巡りもよさそう。それでも1日にいくつかのお寺を訪ね歩けそうです。でも、108を歩いて廻ったら、どのくらいかかるのでしょうね……。

 

話は変わりますが、この下↓にランキングなんかが、つけられちゃってますよね。最近ずっとランク外(^_^;) おもしろくないかなぁ、お寺参り(-_-;)



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2008/04/18  (金) 

法泉寺(甲斐霊場第62番)

傾斜のある住宅街の奥に法泉寺はあります。「入り口」の看板を見つけて路地を入ると途中でたぶん軽自動車以外は通れないという道に遭遇。ちょうど洗濯をしていた奥さんを見つけ、「私はどうしたらいいでしょう?」と聞いてみました。ちょっとバックすると別の道があるとのこと。こうなるとナビなんか何のお役にも立ちませんね。合計3人の方に道を聞きつつ、山を背にデンと構えている法泉寺に行き着くことができました。
 
このお寺の開祖は、信玄十代の祖、甲斐守護武田信武。14世紀のはじめ、鎌倉時代の創建で、武田勝頼の菩提寺になっています。織田勢に破られて武田が滅亡し、1582(天正10)年に勝頼が自刃、その首級は京都にさらされました。首を貰い受けて手厚く葬ったのは妙心寺の住職ですが、このとき、法泉寺の住職もそこに居合わせ、勝頼父子の髪などを持ち帰って葬ったそうです。

 

そのため、この寺が菩提寺を持たなかった勝頼の菩提寺となったという経緯があるとか。 それほど大きなものではありませんが、勝頼のお墓があります。
 
本堂の左手には転法輪蔵と名づけられた経蔵。その前には大岩があり、岩の上には金剛智慧不動尊が祀られています。不動尊は小さなものですが、岩はとても大きなもの。どうやってここに運んだのでしょうか。あるいは、この岩が先にあってお寺ができたものか。よく管理されていて、雰囲気のいいお寺さんでした。

 



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2008/04/17  (木) 

積翠寺(甲斐霊場第61番)

山梨県は「信玄の隠し湯」だらけで、武田信玄はどうして温泉を隠しまくったのでしょうね(笑) なにも隠さなくても、普通に「信玄ゆかりの湯」ではいけないなのかしら? 積翠寺温泉も「信玄の隠し湯」だそうです。このあたりは、地名も積翠寺。そのわりに、積翠寺そのものは地味なお寺です。信玄の誕生寺といわれているのに。
 
市街地から武田神社を通り過ぎて、どんどん上っていくと積翠寺はありました。相川沿いに道はどんどん狭くなり、久しぶりに甲斐教習所か?という道。前方からクロネコさんのトラックが来たときは一瞬,緊張しましたよ。回避スペースがあって、バックは免れましたが(^_^;)
 
到達した積翠寺は山の中腹。背後も山ですが、ここから見渡す前方の山々が春霞におぼろで、くすんだ緑の中にぼんやりピンクの山桜、まるで王朝の着物の柄を見ているような……。メリハリのない美しさというのもあるのだなという感じでした。
 
積翠寺は住職さんとご近所の方が楽しげにお茶飲みをしていました。お邪魔しまーす。1521(大永元)年、飯田河原合戦の際に信虎夫人が積翠寺に留まって信玄を生んだそうです。本堂の裏手は見事な庭園で、赤松が池の上まで枝を伸ばしています。
 
その奥に産湯の井戸があるそうですが……、行かれないみたいです。もはや埋まってしまい、井戸の跡だとか。境内に泉が湧き出て滝になっていたところから、もとは「石水寺」と呼ばれていたものが、後年、積翠寺の字が当てられるようになったというほど水が豊かだったようです。でも、いまは枯れ気味。
 
門から本堂へ向かう参道は左右に石灯籠が立ち並び、やはり美しい松の姿が。華やかさはありませんが、落ち着いた雰囲気のお寺でした。本堂は新しく立て直した立派なものですが、庫裏や書院は300年ぐらい前のものだそうです。



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