ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2008/04/09  (水) 

尊躰寺(甲斐霊場第55番)

尊躰寺は1521(大永元)年に武田信虎が忠蓮社弁誉上人を迎えて開山。はじめは古府中にあったものが、16世紀、豊臣大名の甲府城築城にともない現在地に移転した、というのは、このあたりのお寺に共通した変遷のようです。そしてまた、このお寺も1945(昭和20)年7月の甲府空襲で焼失。同じような地域にあるのだから、当然のことですが、やはり同じような運命をだどっています。現在の本堂は1954(昭和29)年(に再建されたもの。もちろん、新しくてきれいなお寺に文句はないのですが、なんとなく風情がいまひとつ……(^_^;)
 
境内は静かでこじんまりとしており、1本の桜の樹が春を謳歌していました。ご本尊は「真向三尊阿弥陀如来」図像だそうですが、丸焼けになった甲府空襲のときも、このご本尊は焼け残ったのだそうです。信虎が難病にかかったとき、この本尊の霊験によって全快したと伝えられますが、やはり霊験あらたかなのかも。徳川家康が甲斐に入ったとき、このお寺に陣を張ったのも、この霊験にあやかろうとしたからだとか。
 
境内には、佐渡金山奉行で知られた大久保長安の供養塔があります。なかなかやり手の方だったようですね。武田信玄に仕えていたにもかかわらず、家康に家臣として重用され、手腕を振るった人。イメージとして権謀術策という感じがするのは、娯楽小説の読み過ぎかも(笑)
  
ここには「目には青葉山ほととぎす初鰹」の句で知られる山口素堂の墓もあります。そういえば、もうそろそろ初鰹の季節が近づいている感じです。高級なお鮨屋さんのぼんぼんは、もう初鰹を召し上がったとか。庶民の口に入るのは、まだ先のことになりそう。初鰹どころか、最近、スーパーに行っても物の値段がじわじわ上がってるようで、暮らしにくい世の中ですよね。



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2008/04/08  (火) 

春の嵐

春の嵐とはいっても、北風ビュービューで、今日の関東地方はものすごいお天気でした。横浜スタジアムなんか絶対中止だと信じ込んでいたのに、テレビをつけたらやっていたのでびっくり。しかも、つけた瞬間に逆転されてるし(-_-;) やってるほうも見ているほうも、さぞや寒かったのではないかと思います。勝てる試合を引き分けにしたのは残念でしたけど。

 

勢いで書いてるトルコ紀行、続きをアップしました。やっと、明日はイスタンブールというあたりまでこぎつけて、もう勢いがなくなりなりかけていたり(笑) 「トルコ紀行続き」は、こちらです。よろしかったら、のぞいてみてください。



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2008/04/07  (月) 

信立寺(甲斐霊場第54番)

日蓮宗の広教山信立寺があるのは、甲府市若松町。このあたりは予想以上にたくさんのお寺があって驚かされます。信仰心の強い地域だったのでしょうか。早くから開け、文化が栄えたからかもしれません。とくに若松町近辺にあるお寺は、こう浮上築城のときに移ってきたお寺であるようです。
 
立派な山門も本堂も比較的、新しい感じがするのは、やはり甲府空襲で焼失してしまったのでしょう。あいにく、お寺さんはお留守。庭には鮮やかな色のチューリップをはじめ、春の花がたくさん植えられていました。庫裏の入り口にも色とりどりの花壇が。きっと、花の好きな優しい方が暮らしているのではないかと思わせます。で、ここの境内でお弁当を広げさせていただきました。無断ですけど、お許しください。
 
信立寺は身延山久遠寺の宿寺として身延山と一体に扱われ、徳川の御朱印も身延山と一紙で与えられていたそうです。昔はすごく大きなお寺だったとか。武田信虎の帰依を受けて1522(大永2)年に身延山13世日傳上人が建立しましたが、上人が身延山に戻らず、このお寺で亡くなったことから、久遠寺の隠居寺ともいわれているそうです。 

 



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2008/04/06  (日) 

一蓮寺(甲斐霊場第53番)

一蓮寺の入り口はちょっとわかりにくくて、稲積神社へ迷い込んでしまいました。大きな神社で、セブンイレブンの新車の納品トラックがお祓いに……、んっ、お祓い? 鳥居? 一蓮寺は、そのお隣だったのです。目的地ではなかったとはいえ、これも何かのご縁ですから、お参りだけして、そそくさと立ち戻り、一蓮寺へ。神社の駐車場に堂々とクルマを置かせていただいたまま、しかも一蓮寺へは裏口から(^_^;)
 どうぞ安全運転で
一蓮寺は、武田信義夫人が尼となり、1312(正和元)年に一条道場と開いたのが始まり。当初、のちに甲府城となった一条氏の居館だった所にありましたが、その後、1594(文禄3)年(に甲府城築城のため現在の場所に移転したそうです。武田氏は一蓮寺を甲府に来た賓客接待の場として利用していて、「甲陽軍鑑」にも1566(永禄9)年には、和歌や連歌の会の会場として著名だったと紹介されているとか。
 
裏から失礼してしまった一蓮寺は静かで、お寺さんはお留守のようでした。立派な本堂は、やはり1945(昭和20)年の甲府空襲で焼かれ、1984(昭和59)年に再建されたもの。参道正面には毎日、朝と夕方に時を告げる鐘の音が鳴り響くという鐘楼がありました。 裏手の出入り口の角に赤い屋根の小さなお堂、「いしずえ地蔵」があります。甲府空襲のときに亡くなった人のうち300体以上を一蓮寺の庭で荼毘にふし、その慰霊のために造られたのが「いしずえ地蔵」なのだそうです。
  
本堂の前には「山梨県会発祥の地」と刻まれた碑が立っています。廃藩置県によって 地方の政治は「県」の単位で行われることになりましたが、日本でもっとも早く「県議会」を開催したのは 山梨県です。1877(明治10)年5月7日から14日まで開催された第1回山梨県会は一蓮寺の本堂が議場だったのだとか。全国で県議会が開催されるようになったのは、それより2年もあとのことです。  
 
それ以外にも防災活動で殉死なさった方の慰霊碑でしょうか、「甲府消防」の碑があり、公共機関と関係の深いお寺さんなのかもしれません。シーンと静まり返ったなかに、1本の桜の樹だけがはらはらと花びらを落としていました。



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2008/04/05  (土) 

千松院(甲斐霊場第52番)

第51番の遠光寺から歩いて5分ぐらいのところにある千松院。50番代の寺院は比較的、密集していて、歩いて霊場めぐりをする人にも便利です。JR甲府駅に近く、街中で激狭の道もないので、運転手的にもラッキーです。
 
千松院も1945(昭和20)年の甲府空襲で本堂などをすべて焼失してしまい、コンクリート造りで再建されたもの。山門も立派で、全体的に新しい感じがします。本堂の前には石造の聖観音像があるが、戦前には立派な観音堂があったといいます。 
 
釈迦如来をご本尊とする曹洞宗のお寺ですが、甲州水子水子地蔵尊として有名。本堂の脇にある水子地蔵の周辺には子どものおもちゃやぬいぐるみなどがぎっしりと置かれていました。この日は本堂から静かな読経の声が聞こえていましたが、ひょっとしたらお子さんを失くした方の法事かな……なんて。
 
16世紀半ばの創建で、お墓所には甲府勤番の武士たちの墓が多いとのことです。甲斐武田家が荒川の水難よけの寺として、建立したとか。甲斐百八霊場の52番であるだけではなく、甲斐府内33か所観音霊場の振り出しのお寺。江戸時代には巡礼で訪れる人々で賑わったといいますが、最近は、水子地蔵にお参りに来る人が多いそうです。



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遠光寺(甲斐霊場第51番)
トルコ料理