ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2008/04/19  (土) 

塩澤寺(甲斐霊場第63番)

湯村温泉にある塩澤寺は、厄除地蔵といったほうが通りがいいようです。このお地蔵様は毎年2月13日と14日だけ耳が聞こえるようになり、願いごとを聞き届けてくれるというので、この日はたくさんのお参りがあるそうです。このお祭ではお寺周辺にはたくさんの露店が立ち並び、活況を呈すといいますが、いまは耳をふさいでいるお地蔵様のいるお寺も静か。
 
山を背にしたお寺で、立派な山門をくぐり境内へ行くには、長い石段を登っていきます。正面が地蔵堂。内部は室町末期の特徴を残していて、国の重要文化財だそうですが、いまは固く閉ざされていました。
 
庫裏の前にある「舞鶴の松」という松の枝ぶりが見事。県の指定天然記念物になっています。樹齢450年以上といわれ、枝は30メートルぐらい伸びています。鶴が翼を広げて舞い上がろうとする姿に似ているところから舞鶴の松と呼ばれています。
  
地蔵堂から奥へ入って行くと、自然散策路が広がっているようです。私たちは不精にもクルマで霊場めぐりをしていますが、ゆっくりと散策しながらのお寺巡りもよさそう。それでも1日にいくつかのお寺を訪ね歩けそうです。でも、108を歩いて廻ったら、どのくらいかかるのでしょうね……。

 

話は変わりますが、この下↓にランキングなんかが、つけられちゃってますよね。最近ずっとランク外(^_^;) おもしろくないかなぁ、お寺参り(-_-;)



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2008/04/18  (金) 

法泉寺(甲斐霊場第62番)

傾斜のある住宅街の奥に法泉寺はあります。「入り口」の看板を見つけて路地を入ると途中でたぶん軽自動車以外は通れないという道に遭遇。ちょうど洗濯をしていた奥さんを見つけ、「私はどうしたらいいでしょう?」と聞いてみました。ちょっとバックすると別の道があるとのこと。こうなるとナビなんか何のお役にも立ちませんね。合計3人の方に道を聞きつつ、山を背にデンと構えている法泉寺に行き着くことができました。
 
このお寺の開祖は、信玄十代の祖、甲斐守護武田信武。14世紀のはじめ、鎌倉時代の創建で、武田勝頼の菩提寺になっています。織田勢に破られて武田が滅亡し、1582(天正10)年に勝頼が自刃、その首級は京都にさらされました。首を貰い受けて手厚く葬ったのは妙心寺の住職ですが、このとき、法泉寺の住職もそこに居合わせ、勝頼父子の髪などを持ち帰って葬ったそうです。

 

そのため、この寺が菩提寺を持たなかった勝頼の菩提寺となったという経緯があるとか。 それほど大きなものではありませんが、勝頼のお墓があります。
 
本堂の左手には転法輪蔵と名づけられた経蔵。その前には大岩があり、岩の上には金剛智慧不動尊が祀られています。不動尊は小さなものですが、岩はとても大きなもの。どうやってここに運んだのでしょうか。あるいは、この岩が先にあってお寺ができたものか。よく管理されていて、雰囲気のいいお寺さんでした。

 



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2008/04/17  (木) 

積翠寺(甲斐霊場第61番)

山梨県は「信玄の隠し湯」だらけで、武田信玄はどうして温泉を隠しまくったのでしょうね(笑) なにも隠さなくても、普通に「信玄ゆかりの湯」ではいけないなのかしら? 積翠寺温泉も「信玄の隠し湯」だそうです。このあたりは、地名も積翠寺。そのわりに、積翠寺そのものは地味なお寺です。信玄の誕生寺といわれているのに。
 
市街地から武田神社を通り過ぎて、どんどん上っていくと積翠寺はありました。相川沿いに道はどんどん狭くなり、久しぶりに甲斐教習所か?という道。前方からクロネコさんのトラックが来たときは一瞬,緊張しましたよ。回避スペースがあって、バックは免れましたが(^_^;)
 
到達した積翠寺は山の中腹。背後も山ですが、ここから見渡す前方の山々が春霞におぼろで、くすんだ緑の中にぼんやりピンクの山桜、まるで王朝の着物の柄を見ているような……。メリハリのない美しさというのもあるのだなという感じでした。
 
積翠寺は住職さんとご近所の方が楽しげにお茶飲みをしていました。お邪魔しまーす。1521(大永元)年、飯田河原合戦の際に信虎夫人が積翠寺に留まって信玄を生んだそうです。本堂の裏手は見事な庭園で、赤松が池の上まで枝を伸ばしています。
 
その奥に産湯の井戸があるそうですが……、行かれないみたいです。もはや埋まってしまい、井戸の跡だとか。境内に泉が湧き出て滝になっていたところから、もとは「石水寺」と呼ばれていたものが、後年、積翠寺の字が当てられるようになったというほど水が豊かだったようです。でも、いまは枯れ気味。
 
門から本堂へ向かう参道は左右に石灯籠が立ち並び、やはり美しい松の姿が。華やかさはありませんが、落ち着いた雰囲気のお寺でした。本堂は新しく立て直した立派なものですが、庫裏や書院は300年ぐらい前のものだそうです。



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2008/04/16  (水) 

桃の花が満開

先々週、釈迦堂PAへ桃の花を見に行ったときは、まだまだつぼみでした。桃農家のおじさんが、「来週は咲かせて見せる!」と豪語していたので、実際には2週間近く経ってしまいましたが、今日、また行ってみました。今日は、ほぼ満開! 甲府盆地にピンクのジュータンが敷きつめられていました。
 
釈迦堂PAから徒歩で「釈迦堂遺跡博物館」へ登ります。ここの展望ロビーからは、かなり遠くまで見通せます。

 

ただし、入館料200円也。この博物館は、中央道が造られたときに発掘された釈迦堂遺跡の出土品を展示しています。縄文土器が多く、私は「釈迦堂縄文博物館」だと記憶していたくらい(^_^;) 
 
とはいえ、「博物館は何度も見なくてもいいや」という感じなので、展望ロビーにちょこっと上がるだけに200円は高いなぁ(笑) 確かに眼下に広がる桃畑は見ごたえがありますが、あいにく今日は曇りで、迫力はいま一つといったところ。釈迦堂PAから下り線の左側にも見事な桃の花が連なっています。運転手は脇見厳禁ですけど(^_^;)
 
遺跡博物館の周辺では、観賞用の桃の花木もきれいに咲きそろっていました。いろとりどりで楽しいのだけれど、1本の木に赤、白、ピンクと色とりどりの花が咲くのはどんな仕掛けがあるのでしょう? 桃の木にも不思議がいっぱいです。
 
桃農家が夏の収穫に向かって予約を受け付けるお店を出しています。そこで、摘みたての「こごみ」が売っていたので、買ってきました。帰ってから茹でてからし醤油でいただきましたが、うーん、春の味! 帰りのSAで買ってきた「なめこ」の味噌汁とともに、本日の夕食は「山の味」。これから、いろいろな山菜が楽しめる季節になりますね。

 



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2008/04/15  (火) 

円光院(甲斐霊場第60番)

円光院へ行くには、武田神社の前を通りますが、この武田神社へ向かうまっすぐな道、武田通りの両側は桜並木。まだ、若い木のようで花のトンネルというほど見事な咲きっぷりではありませんが、けっこう距離があるので、もう何年(何十年?)かすれば、名所と言われるくらいの桜並木になりそうです。
 
突き当りを右折すると円光院はすぐそこですが、その前に 市営つつじが崎霊園の桜がまた見事でした。円光院前を通り過ぎちゃって、くねくねと坂道を登って行ったので写真は撮れなかったのですが、眼下はピンクのジュータンを敷いたよう! きれいでした。
 
Uターンして桜の中に舞い降り、円光院へ。甲斐霊場めぐりの中で、はじめて季節と名所がピタリとはまったような。駐車場に並んだ濃いピンクの枝垂桜は、本当にきれいでした。そして、枝の間から透かし見える甲府の街並みも。
 
ここには信玄の正妻、三条夫人のお墓があります。その昔は石和町にあったそうですが、1560(永禄3)年に武田信玄が、甲府五山の一つとして現在の場所に移したそうです。三条夫人を開基とした。三条夫人は1570(元亀元)年に亡くなり、その法名が円光院。それがそのままお寺の名前になりました。
 
本堂の左奥に、立派な三条夫人廟所があります。本堂は1977(昭和52)年に再建されたとのこと。比較的、新しいものです。あいにくお留守のようで、ご朱印はいただけませんでしたが、境内にも花びらが舞う桜の大木がいくつもあり、それだけで十分! という感じでした。

 



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トルコ料理
光照寺(甲斐霊場第67番)