ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/07/11  (水) 

光福寺(甲斐霊場第2番)

光福寺があるのは善光寺から東へ2.5キロほど。ナビには登録されていなくて、この辺かなぁと曲がったところが大当たりで、まっすくお寺に到着しました。階段を上がった観音堂のあたりでなにやら読経の声。巡礼なんでしょうか、おばさん6人、おじさん1人のグループが般若心経を唱えておいででした。
下の観音堂   上の観音堂

 
甲斐源氏の祖である新羅三郎義光)が、「後三年の役」の戦死した人々を弔うために開山した真言宗の寺院でだったとか。その寺は、山崩れで寺は失われ、1547(天文16)年に武田信玄が、浄土宗岩泉山光福寺として再建したそうです。
富士山が真正面に見えます 

 
お経の声に導かれて?階段を上り、観音堂に到着。実はこれを本堂と勘違いしました(^_^;) お参りしてから右横をみると、観音堂へ上がるという急な石の階段があったので、とりあえず行ってみるかと昇ってみると……、ちょっと広場になっていて、観音堂まで50メートルと書かれた表示がありました。
 
50メートルならと、歩き出したのですが、これが険しい! 一応、石が階段状になっているのですが、天然石で大きさもまちまち。手で足を引っ張り上げなくちゃ登れないようなところもあって(足が短いだけ?)えらいこっちゃ!
険しい山道のような参道


終点の観音堂は、岩をくりぬいた洞窟のようなところに半分埋め込まれるようにお堂が建ち、足の弱い人には危険かもっていうぐらいのところでした。これは上の観音堂と呼ばれ、最初に参拝したところは下の観音堂ということらしいのです。参拝して下り始めたのですが、こういう道を下るのは登るより恐かったです。その上、むっちゃくっちゃ蚊に刺されて(>_<)
 
で、降りてきたら、なんと本堂は駐車場のすぐ脇だっていうことを発見。住職と奥様が庭木の手入れをなさっていました。そこで御朱印をいただいたのですが、すごくやさしい物腰の上品な奥様で感激いたしました。
 
光福寺はたびたび山崩れや火災などにあい、現在の本堂は1965(昭和40)年に、二つの観音堂は1997(平成9)年に建てられたそうです。



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