ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/12/07  (金) 

永源寺(甲斐霊場第50番の1)

甲斐霊場50番目の霊場は永源寺と勧盛院の二つになります。二つで一組? 同じ曹洞宗のお寺ですが、龍華院(第46番)の末寺であるという以外には共通点はさなそうなのですが。
 
永源寺は山門を改修工事中。このあたりは水害の多い地域で、永源寺も何度か水害にあって、いまの本堂は1702(元禄15)年に再建されたものだそうです。

  

御朱印をお願いすると、本堂を開けてくださいました。御朱印は住職さんが書いてくださり、一度、本堂に上げてから手渡してくださいました。こういうことって、ありそうで、はじめてでした。なんだかとてもありがたみがあります。

 

本堂には、ここにも江戸時代の駕籠がありました。このあたりは、お寺さんが使った駕籠などが当たり前に残されているのでしょうか。改築される前の茅葺屋根の本堂や経堂の写真などが展示してあり、昔の面影を偲ぶことができます。3月の第1日曜には観音祭りがあり、重要文化財に指定されている聖観世音菩薩がご開帳されるそうです。
 
かつて、甲斐にただ一つの普化宗という禅宗の寺院、明暗寺というのがあったそうです。この宗派は虚無僧の寺。時代劇でお馴染みの笠をかぶって尺八を吹いているイメージですね。この普化宗が明治初期に廃宗となったため、明暗寺から永源寺へ、市の文化財に指定されているご本尊の普化禅師像などが移されたそうです。毎年、4月29日に「レンゲ祭り」が開かれ、尺八愛好家による虚無僧行列があるとか。見てみたいですね!
 



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2007/12/06  (木) 

大福寺(甲斐霊場第49番)

山肌にお墓が貼りついているような山裾に大福寺はありました。シルクの里公園の隣だよ、温泉施設の上だよ、と教えられてきたので、真正直に温泉の上に登る坂道を思いっきり登り始めると、うっ、下にお寺らしきものが……。またしても右が崖の道をバックで降りるハメに。すぐ気づいてよかった(-_-;)
 
大福寺入り口という看板に従って道を入ると観音堂らしいものがあるのですが、小さなものです。はて、大福寺は? クルマを停めて何かを燃やしている作業中のおじいさんに伺うと、真後ろでした。その方は、「あんまり小さくて驚いただろう」と笑っています。「どこから来たんだ?」と尋ねられて、「多摩方面から」と答えると、「そうか、静岡か。遠州か、遠いなぁ」とひとりで納得。どうもお耳がちょっと遠州ようです。クルマ、多摩ナンバーなんですけど(^_^;) お参りして、御朱印をお願いしようとすると、「そうかい」といって、御朱印帳をもって庫裏に消えました。あ、住職さんだったんだ! 失礼しました(^_^;)
  
本堂の正面には観音堂があります。ここは甲斐三十三観音の十一番札所でもあるのでした。この観音堂、なんとなく造りが神社のような、でもお祀りしてあるのは観音様だし、という感じの不思議な建物です。鐘楼や地蔵などもあり、かつては大きなお寺だったという面影がかいまみえます。739(天平11)年に行基が、この地で観音像を彫りお寺を開いたのが始まりとされていますが、はっきりとはわかっていないそうです。
 
隣はシルクの里公園。広々とした敷地に芝生や雑木林が広がっています。かつてはここも寺領だったのかもしれませんね。この公園には浅利与一のお墓があり、公園の一角には与一にちなんだ与一弓道場もあるそうです。ん? 与一っていえば、那須与一じゃないの? と思ったのですが、浅利与一も源頼朝の平家追討軍に参加し、佐奈田与一、那須与一とともに「源氏の三与一」といわれた弓の名人なのだそうです。知らなかった(^_^;) 壇ノ浦の合戦で遠矢を射て、有名になった人物だそうです。

 



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2007/12/05  (水) 

我が家の秋

今年は何かとせわしなく、ちっとも庭にかまわなかったので、猫の額とはいえちょっと前までジャングル状態だった我が家の庭。気がついたら、自然がジャングルを枯らし、もさもさになりながらも楓が一生懸命に紅葉してました。かわいそうなくらい、床屋さんが必要です(-_-;)
 
手入れをしないと、葉もなんだかくたびれた感じになるのですね。とはいえ、ウチのコなので、見てあげることにしました。風景の美しいところへ行くのはうれしいけれど、他所にばかり行っていると、ひがむかもしれませんからね(笑)
 
とはいえ、散歩にいけば、いま東京は紅葉の真っ最中という感じで公園などはきれいです。たまには近所を散歩してみようと思いつつ、今日は一日、限りなくパジャマに近い状態。これまでで一番寒かった日だとか。これでは外に出る気がしません。って、お天気もよかったし、いまからこんな状態では冬眠でもするほかありませんね。
 
風邪ひいちゃったらしい話もあちこちから聞こえてくるような。インフルエンザもはやい時期からの流行だとか。これもあれも、地球が壊れかけてることと関係がありそうに思ってしまいます。マイ箸、エコバッグぐらいじゃ間に合わないかと思いつつ、そのぐらいしかできない……。あ、ゴミの分別はちゃんとやってます!



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2007/12/04  (火) 

円楽寺(甲斐霊場第48番)

円楽寺は、境内の大いちょうにまず目をひかれます。樹齢500年以上になるそうです。黄葉のまっさかりで、風が吹くと青空から黄色い葉が舞い降りてくる風情でした。御朱印をお願いすると本堂を開けてくださり、お寺の縁起や寺宝の役小角の像などを見せてくださり、丁寧な説明をいただきました。不勉強で物見遊山のものにとっては、ちょっと恥ずかしいというか、申し訳ないという感じです。
 

13世紀頃の製作と思われる像に刻まれた役小角は、役行者というほうが通りがいいかもしれません。634年に大和国に生まれ、 32歳のときに山にこもり、霊験を得たといわれる修験道の元祖です。各地の山を開き修行をしましたが、富士山への道を開いたのもこの役小角でした。その出発点として開かれたのが円楽寺だそうです。
  

8世紀あたりには国家鎮護の勅願道場となり、甲斐修験道の中心地として大きな勢力を持っていたそうです。寺領も背後の丘ばかりではなく、そこらへんの山はすべて、というぐらい大きな寺院だったとか。
 
かつては南側の山に行者堂、六角堂などがあったそうですが、台風の被害にあって崩壊。それまで行者堂にあった役小角の像は本堂に移されています。この像の中の銘には、1309(延慶2)年に修復したと書かれてあり、製作されたのはさらに100年ほど前で、日本最古の役行者像だそうです。隣には役行者生母像もあります。
 
さらに信者が書いたお経を入れるための「六角経筒」が残っていて、本堂内に展示されています。六角堂は源頼朝の創建と伝えられ、納経所として知られていたものです。予約もなしで突然、ふらっと訪れたのに、貴重なお話をいただき、本当にありがとうございました。



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2007/12/03  (月) 

安国寺(甲斐霊場第47番)

 けっこう広い道を気持ちよく走っていくと左の下のほうにお寺の屋根が見えました。あそこ? 飛び降りるしかないの? と思いそうですか、心経寺橋を渡るとすぐ左に下っていく道があります。このあたりは地名が心経寺、山を背にしたお寺が悟道山安国寺です。
 
安国寺は南北朝時代あたりに創建されたのだそうです。 足利尊氏が日本全国に国分寺を建てよう作戦を展開したらしいのですが、実際に造られた寺は少なく、いままであったお寺を模様替えしたのがほとんど、という結果に終わったとか。安国寺もかつては心経寺というお寺だったのが、安国寺に変身したものです。足利氏全盛期は塔もたくさんあり、七堂伽藍が備わった大寺院だったそうです。
 
いまは田園の中にある静かな小さなお寺。番犬が吼えていますが、どなたもいらっしゃらないようです。総門には「これより仏門に入る」と大きく記されています。うーん、修行しなくても仏門に入れてもらえるのかなぁと不謹慎なことを考えながら門をくぐると参道があり、立派な山門に迎えられます。
  
かつては鐘楼門だったものが、いまは三十三観音が祀られているそうです。春分の日には扉が開けられ、梯子を上ってお参りすることができるのだとか。この門をくぐると正面に本堂があります。総門脇には石仏群があり、お参りの人を見守っている感じです。



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秩父神社「秩父夜祭・宵宮」
渋谷へ