ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/18  (火) 

雲峰寺(甲斐霊場第11番)

旧青梅街道を大菩薩峠に向かってかなり走り、このまま帰り道になってしまいそうなところに裂石山雲峰寺はありました。裂石山とはおどろおどろしい名前だと思ったら、やはり石の裂ける伝説がありました。745(天平17)年(745年)、行基が山で修行していたときに落雷があり、石が裂けて十一面観音が出現したことから、その像を木に刻んでご本尊として開山したという言い伝えです。
 
臨済宗の寺院で、甲斐国の府中からみて鬼門にあたるため、武田家の祈願所として大切にされてきたそうです。火災にあってもともとのお寺は焼失したそうですが、1558(永禄元)年に書かれた武田信玄による武運長久を祈願する文書が見つかっており、この頃の建物ではないかといわれています。1950年代から60年代にかけて解体修理が行われ、復元されたそうです。
  
宝物館があり、武田家代々の家督相続の証である日本最古の日の丸の御旗、「風林火山」の孫子の旗、信玄の馬標の旗、武田家の古文書など、重要文化財がたくさん展示されています。これらは天目山で武田が滅亡したとき、家臣が山伝いにお寺に運びこんだものだそうです。家臣にとっては命より大切なものだったのでしょう。
 
雲峰寺は舗装道路から登っていく古びた石段が参道。190段もある、すごく急な石段でちょっと怖いです。途中まで行ってみましたが、あまりここを通る人はいないらしく、足元も荒れている感じ。なぜなら、車でも上がれる道もあるからです(^_^;)
 
石段の途中に仁王門があり、登り切った境内の正面に本堂、右に庫裏、本堂の裏手には書院があり、いずれも国の重要文化財になっています。本堂は単層入母屋造で、柱はすべて太い丸柱を用いているとか。檜皮葺きの屋根は1997(平成9)年に葺きかえられたそうです。不勉強で読んでことはありませんが、有名な「大菩薩峠」を執筆した中里介山はこの寺に滞在してこの大長編小説を書いたそうです。
 
境内の真ん中にエドヒガンの巨樹があり、春は美しい花をつけるそうです。甲州のお寺はどこも境内に美しい花を咲かせる立派な樹があるようで、霊場めぐりの季節を間違えたなぁという感じ。でも、きっと春までかかるから……。
 
そして、ここでまたしても観光バスのご一行様に遭遇。やっぱり今年は大河ドラマの季節なんですね。



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2007/09/17  (月) 敬老の日

芝大神宮「だらだら祭り」

16日は、芝大神宮の例大祭にも行ってきました。お祭りのはしご(^_^;) とはいっても赤坂氷川神社と芝大神宮は地下鉄で駅は3つ。歩けと言われれば、歩けない距離でもないのです。
 
1005年創設の芝大神宮は、都内に現存する中で最も古い神社といわれ、2005年に鎮座1000年記念祭を行っています。例大祭は、「だらだら祭り」とも称されていますが、古くから全国からの参拝者を集めるため、長期間お祭を開催せざるを得なかったとか。気の短い江戸っ子が、そんなに長くやってるなんて「だらだら祭りだ!」と命名したとか、しないとか。お祭りの期間は11日間ですが、別にだら気を抜いてだらやっているわけではなく、毎日、いろいろな行事が開催されています。
  
また、別名「生姜祭り」とも呼ばれ、期間中は神前に甘酒と生姜が供えられます。昔はこの辺りに生姜畑があり、近隣の農家が祭で生姜を売ったことから名物となったということですが、いまやこの辺りで畑なんか探すだけ無駄ですね。境内には生姜を商う店も出ていますが、先日、永福稲荷神社で山積みの生姜をみたばかりなので、ここのは「どこにあるの?」「あっ、これ?」というぐらい。いまでは申し訳程度に売られているという感じです。 
  
隔年で行われる町内神輿連合渡御は、こちらも今年が開催年。16基のお神輿が神社に入る片側2車線道路を貸切にして宮入りします。かつては第1京浜も貸切、通行止めとなったと交番のおまわりさんが言っていましたが、今年は信号を守って横断。貸切になったのは1車線分だけだったようです。
 
宮元の次に続く「芝大門一 北親会」という神輿は、「親子三代、町内の方だけで担ぐ神輿です」とマイクで説明されていました。ということは、他の神輿は外様がいっぱい担いでるってことですね。いまは、どこもそういうことになっているらしいですが。事前に申し込めば、誰でも?担がせてくれるようです。ああ、私も担いでみたいなぁ(^_^;) DNAの中にほんの毛筋ほど残っている江戸っ子の血が騒ぐ?(笑)
 
神社は大きな階段の上にあって、宮入りする神輿を下で宮司さんたちが出迎えます。ちょろちょろと階段を登ってみたのですが、上のほうから見ると、参道を何基も連なって入ってくる神輿にすごく迫力がありました。

 

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2007/09/16  (日) 

赤坂氷川神社「神幸祭」

赤坂氷川神社のお祭りでは、本祭と陰祭が1年おき。今年は本祭りで、今日は神輿連合渡御が行われました。15基の神輿のほか、山車や太鼓が氏子町内を賑やかに練り歩きます。
 
御祭神は素盞鳴尊、奇稲田姫命、大己貴命で、創建は951(天歴5)年とか。ものすごく歴史があるんですね。1066(治歴2)年に大旱魃が発生し、この神社に雨乞いをしたら霊験あらたか、すぐ雨が降ったというわけで、人々は何かにつけてこの神社のお祭りをしたとか。江戸時代には8代将軍吉宗の信仰が厚く、以来、14代家茂まで歴代の将軍に大切にされてきた神社だそうです。
 
「氷川神社」とマピオンなんかで検索してみると、だぁ〜っとリストアップされますよね。全国で「氷川」と名のつく神社は261社あるそうです。東京都だけで68社もあり、いわゆる江戸ご府内だけで7つの有名な氷川神社があります。本社は埼玉県の大宮に鎮座する武蔵国一ノ宮の氷川神社で、すべての氷川神社はここから分かれてできたものです。
  
氏子さんは赤坂、六本木の町内ですが、赤坂、六本木なんていうと、ニューヨーク、パリというのと同じような感じで、「土地の氏子さんなんか、いるんですかぁ〜?」という感じでしたが、みなさん、町内ごとにおそろいの法被、鉢巻姿で勇壮。普段は取り澄ました街も、このときばかりは先祖返りしているような(笑)
 
掛け声は「わっしょい」ではないみたいで。それぞれ町内ごとに好きなこと言ってる(笑)って感じでした。「そいや、そいや」もあり、たんに「おいっ、おいっ」というのも。江戸前のお神輿には掛け声に決まりごとはないんですかね?
  
私は神社から出てくる神輿を柱の陰から定点観測状態で見ていましたが、赤坂っていうくらいで、ゆるやかですが、そこらへん坂道ばかり。山車などは、引くというより、転がり落ちそうになるのを必死で抑えてるって感じで、こっちのほうがパワーが必要かも。しかも逆方向は登りですもんね、こちらは引くのが大変かも。
 提灯に欧文!(笑)

 
背の高い山車の横には、電線を持ち上げる係りの人がついて歩いていて、こんなところはかえって都会のお祭の風情?(笑) カメラを構えていたら、法被のおじさんに「いまだ!」と声をかけられ、思わずシャッターを押してしまいましたがな。振り向いて顔を見合わせ、ふたりで大笑い。最近はデジカメなもんで、後ろからでも狙ってる画面が見えたりするんですよね。赤坂にはおちゃめなおじさんもいます(^_^;)

 スピード出過ぎちゃって

 

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2007/09/15  (土) 

慈雲寺(甲斐霊場第10番)

天竜山慈雲寺は、臨済宗のお寺で、14世紀、南北朝時代に京都の天龍寺を開山した僧として有名な夢窓疎石によって開かれたと伝えられています。 道路から離れた田園の中にあり、静かで落ち着いた雰囲気のお寺です。
 
甲州市の天然記念物に指定されているイトザクラの巨樹があり、きっと春には美しい花を楽しませてくれるのでしょう。このイトザクラは、ウバヒガンの変種というもので、樹齢は300年ぐらい、枝が四方に垂れ、糸が垂れているような形に見えることからイトザクラの名があるようです。淡紅色の可憐な花を咲かせるとのこと、春になったらもう一度、この桜を見に来てみたいものです。いまの季節はお庭も一面の緑という感じで花は少ないですが、よく手入れされていながら、あまり人工的な感じがせず、くつろげるお庭です。
  
ここには樋口一葉の文学碑が建っています。幸田露伴が碑文を書き、賛助者として坪内逍遙、与謝野寛、与謝野晶子、森鴎外、田山花袋、佐藤春夫などそうそうたるメンバーが名を連ねています。しかし、なぜ、ここに樋口一葉? 
 
一葉は1872(明治5)年3月25日東京生まれ、1896(明治29)年11月23日没。24歳という短い生涯だったんですね。この24年間に何か慈雲寺との関係が生まれていたのかと思ったら、関係があるのは一葉のご両親だったのです。
 
江戸末期に当時の住職が寺小屋を始め、のちに樋口一葉の両親がここで知り合い、ここで学んだのだそうです。ここは樋口家の菩提寺でもあったようです。この文学碑は、1916(大正5)年に一葉の妹、邦子が先祖の墓参に訪れたときに、世話をしてくれた人と「一葉の碑をこの地に建立し、後世まで遺したい」という相談がまとまり、大正11年10月に建てられたと説明されていました。
 
2004年から樋口一葉が5000円札の肖像になったことを記念して、お寺の入り口には新しい一葉の石像も立てられています。観光資源にしたいというお考えがあるのでしょうが、桜の季節以外はあまり人も訪れないような、静かな風情のままいてほしいような。初めて来たくせに勝手なことを言うなって感じですけど(^_^;)



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2007/09/14  (金) 

牛嶋神社「神幸祭」

牛嶋神社の大祭は5年に1度しか行われないので、見逃すわけにはいかないとばかり出かけていきました。13日は式典、14日と15日は牛車を中心とした祭礼巡行が行われ、16日は町内の神輿が勢ぞろいする連合渡御が行われます。神輿渡御も見たいけれど、牛車というのは珍しいものなので、今日の神幸祭に行ってきました。今年はとくに御鎮座1150年に当たる記念祭だそうです。
 
黒牛が引く鳳輦を中央に、高張、鳶金棒などが先導、太鼓を乗せた台車、衣冠束帯の正装した神主さんたち、かわいい稚児さんたちも一緒に街を練り歩いていました。鳳輦—ほうれん—というのは、天子や高僧などの乗り物とされる車で、神輿のように威勢よく担ぐのではなく、静かに運ばれたり、車輪をつけて黒い牛が引くのが一般的で、中国から伝わった乗り物です。鳳輦の起源は神輿より古いそうです。
 
神輿は16日の渡御に備えて、各町内の御座所に鎮座しています。牛車は、その一つ一つを回り、神輿の前で宮司の祝詞?が唱えられることになっているようです。神輿の前の道には砂が敷かれていて、その上に鳳輦を停車させて、何やら儀式が行われるのですが、部外者には何が行われているのかは見当がつきません。みなさん、神妙に頭を下げて宮司さんの言葉を聴いていらっしゃるので「何してるんですか〜?」なんて、尋ねられませんでした(^_^;) ときどき、牛が「もぉ〜」なんて鳴くのが、なんとなくのどかでした。
 
16日に連合渡御される神輿は、区内それぞれの町にあり、全部で48基とか。3カ所に集合し、順次宮入りするそうです。都内には3基しかない八棟神輿も出るとのことで、これも見てみたいものですが。
 
牛嶋神社は860(貞観2)年の建立で、墨田区で最も古い神社になります。本所の総鎮守で、境内にある「なで牛」は、自分の悪い部分をなでて、牛の同じ部分をなでると病が治ると言われます。祭礼巡行を追いかける前に頭をなでてきましたが、ご利益はありますかね? ちょうど境内の掃除をしていた神主さんに「いま、ご祭礼はどの辺にいるでしょうか?」とうかがったら、祭礼順路を書いた扇子をいただきました。いただきましたって、有料です(-_-;) でも、順路と予定時間を丁寧に説明してくださったので、すぐにご祭礼の巡行に出会うことができたので、それはそれで(笑) 

  

縁日ガイド」にも写真を紹介しています。



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恵林寺(甲斐霊場第9番)
愛宕神社「出世の石段祭」