ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/10/01  (月) 

エスカレータの立ち位置

大津へ行くにあたって、連れとは現地で会いました。連れとは、言わないでしょうかね? どっちも東京から行ったのに(笑)
 
出会ったとき、最初に口にしたのが、ふたりとも同じせりふでした。「関西ではエスカレータは右に避けるって聞いていたのに、左側に避けてるよね?」。出会いの挨拶としてはかなりおかしなものですが、奇しくも同じようなことに興味をもっていたのですね。
 
エスカレータで、急いでいる人に先に行ってもらうために立ち止まるのはどっち側? 東京では左に立ち、右側を空けます。関西では右に立ち左側を空けるそうです。この空ける側の違いが切り替わるのが大垣あたりと聞いたことがあるので、実は興味津々、駅のエスカレータを観察していたというわけです。
←京都駅   東京駅→

前に女子高生でもいたら、迷惑防止条例で逮捕されるとこだった!?


たまたまではなく、いつでも、京都は左側を空けていました。東方面からの観光客が多かったのでしょうかね。大津では降りなかったのでわかりません。草津、米原では、平日の昼間という閑散としている時間帯だったせいかエスカレータを使っている人が少なく、みんな真ん中に立っていたりして、混雑時はどうなっているのか見ることができませんでした。
 
う〜ん、謎は深まるばかり。夜も眠れなくなりそう(これは、かなり古いなぁ〜)。
 
日本は自動車が入る前は、人間が左側通行だったそうです。これは、侍は刀を左腰に差して右手で抜くため(斉藤一は左利きで、逆だったということですが)、すれ違いざまの攻撃を回避するため、右に他人を置いてすれ違う習慣があったと聞いたことがあります。うがちすぎでしょうかね。
 
じゃあ、どうしてクルマが走るようになったとき、人は右側、自動車は左側になったのでしょう? 国際的には逆パターンのほうが多いようですし、そのまま人は左でもよかったような。明治時代は、国内交通網の整備は鉄道を中心に据えていたので、英国に範をおき、ついでに道路の使い方も見習っちゃったのでしょうか?
 
人間右側の先進国(当時の)では、銃器だったので右を歩こうが、左を歩こうが身体の防衛には関係なかったんでしょうかね?
 
あ〜、考え始めるとホントに夜も眠れない(笑) そんなつまらないことを観察してないで、階段から転げ落ちないように気をつけなければいけないのは、豊富な転落体験をもつ私でした(-_-;)



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2007/09/30  (日) 

竹生島探訪

草津を後にして、「竹生島へ行ってきました」の続きです。伊東甲子太郎が襲われる前に謡曲「竹生島」を口ずさんでいたことで有名……ってなわけはありません(笑)竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島で、国の指定名勝および指定史跡になっています。神の宿る島、神を斎く(いつく)島から、この名があるといわれていると、長浜から乗った琵琶湖汽船の船内案内で教わりました。竹生島へ渡るルートは長浜港からと今津港からが一般的で、彦根港からも船が出ているようです。
 
竹生島は全島が緑の樹木で覆われており、琵琶湖八景の一つにも数えられていますが、謡曲や能の演目になっており、近世邦楽の中で見聞きすることが多いのではないかと思います。このあたり、私はまったく暗いので、竹生島まで足を延ばしたのはただの酔狂です(^_^;)

島の周辺は水深が深く、西側付近は琵琶湖で一番深いそうです。ここににょっきりと竹生島が生えている感じで、もし琵琶湖の水がなければ、なにかでっかいトーテムポールのようなものになりそう。北には湖底遺跡があり、多数の土器が引き揚げられているそうです。この土器は縄文時代から弥生時代、中世にまで及ぶものもあり、なぜこのような土器がここに多数沈んでいるのかは、いまだ謎、だそうです。
 
島全体も急勾配で、竹生島の港に着くと、まず目の前に立ちはだかる階段に圧倒されます。137段とか。また階段かぁ〜。神社仏閣めぐりにはもれなく階段がついてくるようで(-_-;)
 
下船したみなさんはまっすぐ宝厳寺に続く階段を登っていきました。ここは西国三十三箇所三十番、歴史のある荘厳な建物です。が、ちょっと賑やかな中年男性グループ(ま、うるさいオヤジどもですね)がいたので、私は途中で道をそれて逆順路、観音堂のほうから歩き始めました。この先、都久夫須麻神社(竹生島神社)へ行くのに豊臣秀吉の御座船「日本丸」の廃材で作られたという重要文化財「舟廊下」を通ります。天井を見上げると、「舟が逆さまになって屋根になっている!」という感じです。
 
都久夫須麻神社は縁結びですから、とりあえず最初に行かなきゃね! と、あちこちの縁結びの神にお願いしすぎてどこからもそっぽを向かれているとか? 社の前には、「かわらけ投げ」のステージがあって、かわらけ(素焼きの皿)に願いごとを書いて断崖から投げ込み、それからお祈りするとご利益があるそうです。私は肩まで一緒に投げ込んでしまうと困るので、やめておきました。だから、ご利益がないんだ!(笑)

 

平日の昼間で、観光シーズンには少し早いせいでしょうか、一緒に上陸した人々は20人あまり、他の港から来た人を入れてもたいした人数ではありません。逆コースは閑散としていて、ちょっと不気味な感じも。しまった、うるさい人々について行けばよかったかな?
  

 
普通は下ってくる階段を登っていって、宝厳寺へ。ここにはご本尊の弁財天が祀られています。1942年に完成したものだそうですが、仏堂は平安時代後期の様式で屋根は総桧皮葺きの立派な建築です。境内の目立たない隅にある「五層の仏塔」は鎌倉時代に造られたものといわれ、地・水・火・風・空の五大をかたどった高さ2メートル47センチの石塔。石材は滋賀郡の山中から採れる小松石だそうです。また階段があって三重塔、宝物殿があります。
  
正面の階段の途中には瑞祥水が湧き出しています。深さ230メートル(湖底下約 130メートル)から汲み上げる清湧水ですが、歴史は新しく5年ほど前、2002(平成14)年11月に、神のご神託によって掘られた霊泉とのこと。現代においてもご神託を下される神がいらっしゃる、やはり不思議な島なのです。
 
帰りの船が迎えに来てくれるまで、けっこう時間があるので、もう一度、順路のほうから一周。クイズ、私はいったい何段の階段を登ったり降りたりしたでしょうか? この階段は「祈りの階段」と呼ばれるそうです。

 

長浜に戻って、長浜城(復元ですが)に行ってみました。中は資料館になっているのですが、「年中無休」って書いてあるのに、その日に限って「改装のため臨時閉館」。私の運って……(-_-;)

 



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2007/09/29  (土) 

招き猫の日

「招き猫発祥の地」と自称する今戸神社では、今日を「招き猫の日」と位置づけています。なんのことはない9月29日、「来る福」だそうです。日本人が得意の語呂合わせでした(笑)。確か、世田谷の豪徳寺も招き猫発祥の地と主張してたはずなので、真偽のほどは不明です。
  
16世紀から今戸の地では「今戸焼」という焼き物が作られていました。「招き猫」が世の中に顔を見せるようになったのは江戸時代(17世紀〜)ですが、招き猫人形は今戸焼が始まりといわれているとか。それが今戸発祥説の根拠のようです。境内の数ヵ所にかけられている縁結びの絵馬は、かわいい招き猫の絵が。これならかわいい恋が成就するかも?
  
伝承によると、江戸末期、浅草に住む老婆が、貧しくてご飯を食べさせることができずやむなく愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って「自分の姿を人形にして売り出したら必ず福を授かる」と言ったそうです。老婆は横向きで片手をあげた猫人形を作り、売り出してみたら大評判を呼び、福が舞い込んできたようです。で、手放した猫は戻ってきたのでしょうか?(^_^;)
 
今戸神社の社務所には、いろいろな種類の招き猫が飾られていて、どれもにこやかに福を呼んでいます。良縁を、かな。これだけ揃うと、なかなか壮観ですね。今日は雨模様で、肌寒い一日でしたが、招き猫と見て、神社に手を合わせて帰る若い女性グループを何組か見かけました。素敵な恋が成就することを陰ながらお祈り申し上げます(^_^;)
  
1063(康平6)年、奥羽鎮守府将軍源頼義・義家父子が、奥州の安部貞任・宗任の討伐に行くとき、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現/今戸)に京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡(現/今戸神社)の創建だそうです。権現造りの落ち着いた社には御祭神の縁結びの神といわれるイザナギ・イザナミの命などと一緒に七福神の福禄寿と縁結びをサポートする?招き猫も鎮座しています。
 
また、今戸神社には「沖田総司終焉之地」の石碑があります。永倉新八の「同志連名記」に、江戸に引き上げたとき、総司は和泉橋の松本良順の医学所で治療を受けていたという記載があり、松本良順は今戸八幡で患者の治療にあたり、総司は松本良順宅で療養したといわれています。さすれば当然、総司はここであの世へ旅立ったと。沖田総司の晩年は謎だらけで、千駄ヶ谷の植木屋に寄寓していたという説もありますね。そういえば、ここでも猫のエピソードが語られています。総司と猫はなにかとご縁があるようです。
 



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2007/09/28  (金) 

草津よいとこ!?

草津といえば、関東の人間は群馬県の草津温泉を思い浮かべてしまいます。でも、歴史的にいえば、やはり滋賀県の草津が全国区でしょね。今日は草津と竹生島に立ち寄って、夕方の新幹線で帰ってきました。

 
草津は東海道と中山道の分岐点。江戸時代までは京へ上るにも江戸に下るにも、たいていの人が通った宿場です。山南さんが脱走したとき、ここまで逃げてくれば……と試衛館の諸君が思ったとか、思わなかったとか……という場所です。
さあ、どっちへ行く? 
いまはレプリカになっていますが、「左中仙道」「右東海道」の道標が立っています。草津駅からは東海道を歩いて本陣へ向かいますが、ここはアーケード。ここを馬や駕籠が……もとい、トラックや乗用車や原チャリにのった坊さんまで、駆け抜けていきます。速っ! 危ないのと違いますか?
 

旅の人へのお知らせは、この高札に書かれていたようです。

 
昔は街道の要となっていた土地も、いまは見る影もありません。新幹線に無視されたからでしょうかね、街はどんどんただの地方都市になっていってしまったようです。いち早く観光化でもできれば、もう少し街並みなどの保存も可能だっただろうにと思うと残念な気がします。いまや完全に工業都市として存在するようです。
 
昔の面影が残っているのは、本陣。これはお殿様が泊まった部屋や台所、湯殿、雪隠、馬小屋などかなり原型が残されています。地面がコンクリートで塗り固められたりしているのはご愛嬌? 
本陣の中庭

  
ここに土方くんや近藤くんも泊まったのでしょうか。いや、あの人たちはいつも急いでしたし、敗走していったときより前なら、この格式には泊めてもらえず、近所の旅籠だったでしょうね(笑)。 確かに、日野の本陣より立派です(^_^;)
 
本陣以外のところは、観光客なんかが歩いていると「なんや? モノズキか?」みたいな視線が痛いです(笑) めげずに8世紀頃の建立という立木神社に行ってきました。広い境内には神のお使いといわれる鹿の像があちこちにあります。
 
そして桜並木がきれいだという草津川へ。いまはただの川です。というより、水が涸れているようですね。典型的な天井川で、いまは川の下にトンネルが掘られて旧東海道が通っていますが、昔は橋もなく、浅瀬を選んで旅の人々が渡ったそうです。
 それが証拠に→
大善寺というご本尊の阿弥陀様が国宝だというお寺にも立ち寄ってみましたが、コンクリート作りだったので……。
 
早々に草津から退散し、竹生島に行ってみることにしました。JRに乗っていると、彦根とか安土とか、ちょっと途中下車してみたいような地名が並んでしますが、また後日。って、ここに再び訪れるチャンスがあるのかどうか……。
 
長くなるので、最終の船にやっと間に合った竹生島のご報告は後日ということにしましょう。♪草津よいとこ、一度はお出で〜<それは群馬でしょ!



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2007/09/27  (木) 

琵琶湖のしっぽ

石山寺へ行くには、京阪電車を使います。いかにもローカル線という感じののんびりした電車で、なんだかうれしくなりました。この電車は京都へも直行できるので、そっちへ向かう車両は10両ぐらいつながっていたし、都心部に近づけば混んでくるのでしょう。でも、私が乗った石山寺行きは2両編成で、後ろの箱には私以外、誰も人が乗っていませんでした! 玉電なんかで驚いちゃいけない(笑)
 
石山寺のあるところは琵琶湖のしっぽ、瀬田川になっているところのようです。地理不案内ではっきりはわからないのですが、遠くに見えている橋は東名のようです。そうか、あの上は何度も走っているのだなぁ。左右をきょろきょろすれば石山寺も見えたのかもしれません。いえいえ、わき見運転はいけません(笑)。
 
琵琶湖には大きな遊覧船が走っていますが、瀬田川にもかわいい遊覧船が走っていました。乗ってみようかなと思って時間を聞いたら、乗船時間が1時間だそうです。う〜ん、ちょっとそれだけの時間はとれませんでした。残念。
 
夜になって、浜大津へ行ってきました。琵琶湖の水面は真っ暗で、ただ目の前に打ち寄せる波でその大きさを想像するばかり。きれいな明かりを灯した遊覧船がゆっくり滑るように走っているのが遠くに見えました。連れと話をしていて、つい「海が……」と言ってしまいます。
 
夕食をかねて居酒屋のようなところへ行ったのですが、そこで「松の司」という名称の地酒がとてもおいしいと聞きました。売っているところも限定だそうです。私は日本酒はあまり飲まないので、味もわかりませんし、飲んでみなかったのですが、連れの姐さんは「おいしい、おいしい」と冷酒のお代わりを繰り返し、よれよれになってました。大丈夫かなぁ、まっすぐ歩いてなかったよ(笑)。



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中秋の名月
幕末妄想in西光寺