ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/10  (月) 

行人坂界隈

さんまを消化させるために?目黒駅近辺を探索。何度も通っている地域ですが、本当に通り過ぎるだけで、これまでゆっくりここら辺りを歩いたことはありませんでした。行人坂を目黒川に向かって降りていきます。途中に「大円寺」というお寺があり、行人坂の由来はこの寺にまつわるものだそうです。17世紀初頭の寛永年間にこの辺りに巣食っていた不良のやからを放逐するため、幕府が奥州から高僧行人「大海法師」を迎え、 大日如来の堂を建立したのが始まり。大円寺には、行人(修行者)が多く住んでいたため、行人坂と呼ばれるようになったとか。
 
大円寺の入り口に「八百屋お七・吉三の墓」があると書いてあったので、ちょっとのぞいてみることにしました。あいにく大円寺の墓地は非公開で、八百屋お七のお墓は見ることはできませんでしたが、入り口を入ってすぐ左側にある羅漢さんに圧倒されました。この大円寺が火元といわれる1772(明和9)年の行人坂の火事は、振袖火事、車町火事と並んで江戸三大火のひとつです。火は、折からの強風により、白金、神田、湯島、下谷、浅草までを焼きつくす大火となったそうな。この石仏群は鍛冶の犠牲者供養のために、50年の歳月をかけて完成したといわれています。釈迦三尊像、五百羅漢像など、520体もあるという石仏像は、1970(昭和45)年、東京都の有形文化財に指定されたそうです。
 
行人坂を下りきった、雅叙園の入り口に「お七の井戸」がありました。八百屋お七は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。八百屋お七の話はいろいろな説があり、登場人物もいろいろで、単なる物語なのでは?と思わせるところが多いのですが、天和の大火で寺に避難した際、吉三に惚れ、火事になればまた会えるのではないかと放火して、捕まって鈴ヶ森刑場で処刑されたというのが大筋。歌舞伎などの演目でおなじみですよね。
  
吉三はお七が処刑された後、西運と名乗る僧になり、明月院という寺に入ってお七の冥福を祈ったとか。その明月院は雅叙園の入り口から庭園のあたりにあったもので、明治13年まで現存したといいます。その面影を伝えるのが、雅叙園の入り口にある「お七の井戸」。西運が念仏行に出る前にここで手を清めたことから、そうよばれているという説明でした。
ただこれだけのものですが

  
雅叙園は、いまでも和風の素敵な風情を楽しめる建物として、結婚式などに人気ですが、かつては広い庭園と歴史のある素晴らしい建築と内装で有名でした。美術品だけで何十億という価値があったそうです。この古い建築は一部を残して、1988(昭和63)年に改築され、美術品も相当数が処分されたとか。
 
百段階段と絢爛豪華な江戸時代の部屋の一部は残されているというので、ぜひ拝見したいものだと思ったら、現在は一般公開されていないそうです。「すみません、入れません」と止められたスタッフの方が昔のことをよくご存知の方で、いろいろなお話を聞かせていただきました。ラッキー! たまたまテレ朝の取材が入っていて(外国人を中心に撮影が進められていたようなので、「外国人から見た日本の文化」的な番組なのでしょうね)、その解説に立ち会っていた後らしかったです。この番組は、19日(水)の夕方6時半ごろから放映されるらしいので、もしかしたらここで雅叙園のすごい壁画や天井画、美術品などを垣間見せてもらえるかもしれません。
 
この百段階段という建物に入れる手段が一つあるそうです。月のうち何日か、決められた日に見学プラス食事のツアーが用意されているとか。うーむ、ランチに1万円近くかかるのでは、貧乏人にはきついですねぇ。でも、大枚はたいて、一生に一度ぐらいは見ておく価値があるかもしれないと思いました。



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さんまは目黒に限る!
慈雲寺(甲斐霊場第10番)