ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/11/26  (月) 

瑜伽寺(甲斐霊場第43番)

無碍山瑜伽寺、「むげざんゆかじ」、ずいぶん難しい名前のお寺です。無碍とは「障りがない」という意味だそうです。瑜伽は、「ゆが」とも読み、インドの瑜伽教、「ヨーガ」につながる言葉なんだとか。お寺の名前といえば「福」とか「慈」とか「光」などという字がつくのが多い中で非常に珍しい寺名です。715(霊亀元)年(715)に開かれた寺で、向嶽寺派の中ではもっとも古いお寺だそうです。
 
本堂の作りも変わっている……、というより、あれこれ付属品がなくてシンプルに昔のお寺そのものという感じなのかもしれません。ちょっと神楽殿かなにかを下から見上げているような。
 
この寺には封印された箱が伝えられていたそうです。開けてみると、中には渡金を施された泥の固まりが……。奈良時代に多く作られた、いわゆる「どろ仏」なのだそうです。すっかり崩れていて復元は不可能なのだそうですが、山梨県内では最古の仏像とのこと。奈良時代の塑像の分布はこれまで奈良付近だけと言われていましたが、1992(平成4)年の発掘調査で瑜伽寺境内西側のからも奈良時代の遺跡が見つかったことから、この塑像がここで作られたことが想像でき、学術的には非常に貴重なものとなっているとのこと。やはり甲斐は、奈良時代から仏教文化の水準が高かったということの証。断片のうち24個は東京国立博物館に納められ、残りは瑜伽寺に保管されているそうです。復元できれば、像高は85センチ前後になるといわれます。
庫裏の庭では小坊主かせっせと落ち葉をはいていました?



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2007/11/25  (日) 

定林寺(甲斐霊場第42番)

定林寺は、山門をくぐると左手に観音堂、五重塔、大きなカヤの木、日蓮袈裟かけの梅、祖師堂などがあり、右手の江戸時代に作られた心字池のほとりにはかつての鐘つき堂を使ったという茅葺きの東屋がある庭園になっています。静かで広々として、絶好の散歩コースになりそうです。
  
正面にある本堂は1998(平成10)年(1998)に全面改築されたとのことで、真新しく立派です。本堂の前に、これを回せばお経を読んだことになるという、お経の漢字なんか読めなーいという私のようなものにはありがたいマニ車が設置されていました。以前にテレビでブータン紀行をやっているのを見たときに、このマニ車がたくさん出てきました。ブータンでは縦に置かれていたと記憶していますが、こちらは横向き。内容は日蓮宗の基本的なお経だと同行の生臭坊主が教えてくれました。本物の住職さんはこちらもお留守でしした。
 
妊婦を守ってくれる日蓮ゆかりの双子塚があり、子どもがほしい人は石を持って帰るという子授けの石もあります。妊娠したら、この石は返さなければならないそうです。かつては徳川家の安産の祈願所であったそうで、大奥からのお礼の品も寺宝として残っているそうです。春には双子塚のご例祭で多くの子どもによる稚児行列が行われ、秋には小学生による舞が法のされるのだとか。子どもに縁の深いお寺なのでした。

 



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2007/11/24  (土) 

広済寺(甲斐霊場第41番)

奈良原という地名を頼りに広済寺へ向かいました。道沿いに小さな休憩所のようなをものがあり、初老の男性が日向ぼっこをしていたので道を聞きました。お寺はすぐそこと言って教えてくれました。「赤い屋根が目印だから、それに向かって行けばいい」。狭い道を通り、赤屋根を目指していざ出陣! 到着しましたが、赤い屋根は庫裏で、しかも裏へ出てしまいました。道は行き止まり。また、バックですか〜(-_-;) とりあえず、クルマを降りて裏からお参りさせていただくことに。
 
鐘楼の周りに南国の木? なんだか不思議な雰囲気の漂うお寺です。どういう理由かうかがってみたかったのですが、お寺さんはお留守でした。お墓所で石屋さんが作業をしているので、遠くへ行かれたわけではなさそうですが……。
  
広済寺は、1409(応永16)年(1409)に武田信春が、向嶽寺の流れをくむ禅寺として中興したそうです。それ以前は天台宗の寺院だったといわれますが、わかっているだけでも600年近い歴史があるんですね。かつては向嶽寺派二大寺の一つとして栄えたそうです。明治初期の台風で本堂と山門が倒壊、本堂は1975(昭和50)年、山門は1979(昭和54)年に再建されたものですが、鐘楼だけは江戸末期のものが残されています。
 
お参りしてクルマに戻り、ちょっと広い道までバック、来た道とは逆のほうへ下りました。すると山門が……。なーんだ、こっちが正面ではありませんか! 山門の脇には大きなヒイラギがあたりを睥睨しています。市の文化財だそうですが、花をつけていました。花が咲いているヒイラギというのははじめて。クリスマスリースになるものとは別のものなのでしょうか? 樹木全体がぼーっと白くかすんでいるような風情で、辺りにはいい香りが漂っています。



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2007/11/23  (金) 勤労感謝の日

二の酉「鷲神社」

「お酉様、行かねぇ?」と、NU-FACE社長の青年実業家に誘われ(笑)、行こうかなぁ、寒いしなぁと半ば行く気を失っていたにもかかわらず、夕方になって鷲神社へ行ってきました。さすが、酉の市の発祥の地といわれる鷲神社! 大盛況! といっても、はじめて行ったので、例年と比べてどうなのかはわかりませんが。
 
22日と23日の境の午前0時に、関係者打ち揃って境内で手締めが行われると聞いていたので、本当は昨日の夜中に行ってみたいなという気分だったのですが、ぐずぐずしているうちに出かける気力を失くし、ついでに今日も挫折しそうになっていたのを、お誘いいただいたのでしゃきっと出かける気になりました。
 
信号待ちをしている車窓から、参拝客の行列が見え、「ちょっと、ちょっと〜」、クルマを停める場所はあるの? そこは、さすがに路地裏に強いドライバーの運転だったもので、ほどなく空のあるコインパーキングを発見。鷲神社までちょっとだけ歩いて行きました。
  
行列の最後尾についてから、賽銭箱に手が届くところまで行くのに小一時間は並んでいたでしょうね。神社の入り口で神主さんのお祓いを受けるまで約30分、境内に足を踏み入れてから約30分という感じです。並んでいると、ときおり賑やかな手締めが聞こえてきます。
 入り口でお祓いしてくれます
参道で再び石原都知事ご予約の熊手を発見。確か、一の酉のときもご予約だったような。二つも買うのかな? 三人の息子さんも一緒に石原家がずらり。さぞや天下のお宝をざっくざっくとお集めになられる一家なのでしょう(^_^;)
 
参拝場所が近づいてくると、押すな押すな状態になります。迷子になっちゃいけないからと、連れのコートの端を握り締め、まるで幼児のようなありさまですね(笑) それでも押されて、身体の軸を中心に一回転しました。我ながら器用なもんだわ。
 
花園神社では熊手が売られているの一角だけでしたが、こちらはどこへ行っても大小さまざまな熊手が飾られています。いっこうに景気のよくなる気配がないので、みなさん、商売繁盛のお願いにも力が入るのでしょう。参道の途中で、テレビの製作会社の方々が大きな熊手を求めているのに出会いました。「視聴率アップ、アップ」と叫びながら五本締めしてました。しかし、あまりアップ、アップするのは……(笑)
 
境内から外へ出ると、たこ焼きやお好み焼き、綿菓子などの露店がずらり。これもかなり広範囲です。来年の暦やお守りなどの店もついているのがお酉様らしい風景かもしれません。お好み焼を食べるぞ〜! と意気込んでいたのですが、あまりの混雑に挫折。近くの喫茶店でコーヒーを飲んで帰ってきました。でも、おもしろかったです。 お月様もきれいでした。

 

交通整理のおまわりさんもお疲れさまでございます。

  

縁日ガイド」でも写真を紹介しています。



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2007/11/22  (木) 

福光園寺(甲斐霊場第40番)

果物畑の中の道をゆるゆると登っていくと、大野山福光園寺に到着します。すんなり到達したところには、何かと落とし穴があるもので、シーンと静まり返り、お留守でした(-_-;) しかも山門は修復工事中。足場が組まれていて、近づいてみることもままなりません。まあ、こういうこともあるでしょう。

趣のある本堂に、なんとなく「舞台」という言葉を思い起こしてしまいました。回り廊下のようなものがあるからでしょうか1157(保元2)年に中興ということですから、起源はもっと古いお寺なのですね。境内には見事なシダレザクラが枝を広げています。早春にはさぞや美しい風景になるのではないかと思われます。
  
本堂の右側には吉祥天などが納められた宝物殿があり、奥には香王観音立像の観音堂が建っています。香王観音は行基の作と伝えられる7〜8世紀のもの。運慶の弟子の蓮慶の作という吉祥天は13世紀のものだそうです。これまでに5回も火災に見舞われたそうで、焼失したものも多いそうですが、本堂や鐘楼門などは県の文化財に指定されています。
  
これまでも山裾にひっそりとたたずんでいるという感じのお寺はたくさんありましたが、なんだかここは、人里離れているという風情があります。実際には、そんなに辺鄙なところではないのですが、近くに人家がなく、まわりの果物畑が収穫を終え、しんと静まり返っているからかもしれませんね。



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遠妙寺(甲斐霊場第39番)
龍華院(甲斐霊場第46番)