ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/11/15  (木) 

新蕎麦

昨日は甲州、今日は信州へ新蕎麦を味わいに行ってきました。遊びすぎです(-_-;) でも新蕎麦ツアーは毎年、この時期のお約束? 歯ごたえのあるおいしい新蕎麦をいただき、お腹いっぱい! 戸隠の中社地区でまず1件目のお蕎麦屋さんへ。このお店はメニューに載っていない蕎麦団子もおいしいので、とりあえず、サービスを強要し(^_^;)、そのあと新蕎麦をいただきました。
<戸隠神社中社>
腹ごなしといってはナンですが、戸隠神社中社へお参り。戸隠神社は日本でも有数の神域といわれるところです。戸隠山の麓に、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社があります。全部あわせて戸隠神社。二千年以上の歴史をもつ神社です。
 <階段合計92段!>
平安時代には修験道の道場として知られた霊場でした。神仏混淆によって戸隠山顕光寺となり、比叡山、高野山と共に栄えて、たくさんの宿坊を並んでいたそうです。いまでも中社付近には、講の方々が利用する宿坊がいくつも残っています。って、気取ってみましたが、ここは私のホームゲレンデ、定宿だったりして。かつては何十日も滞在し、荷物置きっぱなし〜みたいな宿坊があったりするわけです(^_^;)
<杉が合体した三本杉> 
今日は中社にだけお参りしましたが、奥社や宝光社にも何度か足を運んでいます。「天の岩戸」の神話は有名ですが、戸隠神社のご祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々。壮麗な杉林を2キロ近く歩いてやっと到着する奥社のご祭神は天照大神が天の岩屋に隠れたとき、天の岩戸をこじ開けた天手力雄命。中社は神楽を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという天八意思兼命。宝光社のご祭神は思兼命子どもといわれる天表春命です。
  
100回以上来てる感じの戸隠なのに、手力雄命より古い神様らしい九頭龍大神を祀った九頭龍社と岩戸の前で舞った天鈿女命を祀った火之御子神社へは行ったことがないので、今回こそ!と思いましたが、お蕎麦に意識が集中し、また行きそびれました〜。天鈿女命はストリップの元祖なんていわれますね(笑)
 <境内に湧水の清流>
中社をお参りしたあとは、鏡池に行ってみました。もう紅葉もすっかり終わり、初冬の気配です。紅葉の季節は、色とりどりの山がくっきり湖に映りこみ、とても美しいのですが、この時期だと新蕎麦がまだなんですよね(^_^;) さっきまでお日さまが出ていたのに、冷たい小雨が降り始め、温度計は5℃を示しています。さむっ!
 
コーヒーショップで温まり、湖畔にも立たず宝光社地区へ下り、宝光社にお参りもせず、またお蕎麦やさんに直行しました。わずか2時間足らずの間に、お蕎麦二枚目。今回は4人の小旅行でしたが、3人は完食。挫折1名。私はもちろん完食です。東京より一人前の量が多い感じで、けっこうずっしり胃にこたえてます。けど、本当においしんですよね、戸隠の蕎麦は。



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2007/11/14  (水) 

称願寺(甲斐霊場第34番)

今日はいつものクルマではなくステーションワゴンに乗り換え、お天気もよく絶好のドライブ日和\(^o^)/ ところが、行きがけにいきなりナビが壊れました。走り出してしばらくするとGPSが作動しないようで、現在地がぐちゃぐちゃ。当然、ルートも引けません。ひぇ〜。戻ってクルマを乗り換えようかとも思いましたが、なんとかなるさとそのまま行っちゃうところが……、バカです。とりあえず、高速道路のパーキングで地図を購入。何年ぶりかな、地図見ながら走るのって。
 
ナビがあっても行きつ戻りつの甲斐です。当然のことながら、連続Uターンおよび、人を見かければ聞きまくりという状態で、やっと辿り着いた竜玉山称願寺でした。でも、正面入り口がわからず、裏道に路注しての訪問とあいなりました。もう、収穫の終わったブドウ畑の中を走りまくる感じで、めったに人など歩いていないのが泣きどころです(笑)
  
ここに養護老人ホームがあります。もとは境内だったところでしょう。今日はよいお天気だったので、窓辺に布団がずらっと干してあります。けど、幸い?境内からは見えない位置でした。このホームは、称願寺開山700年を記念して、1975(昭和50年)に造られたそうです。ちょっと違和感がありましたが、お寺が地域社会に貢献するという意味では、趣旨は間違っていないような気もします。
 
境内にはいまは花も、ほとんど葉もつけていませんが、「ショウガンザクラ」と呼ばれる桜の大木があります。樹齢500年だそうです。この桜は一般の桜と違って、花と葉を一緒につけるそうです。桜の原種に近いものだとか。咲いているところを見たいですね。普通の桜より開花時期が遅いということなので、4月中旬頃でしょうか。
  
時宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来。時宗の開祖一遍上人の弟子で、二祖ともいわれる真教上人の坐像を寺宝としていますが、この像の中から上人の舎利がでてきたそうです。ここに葬られたのだとすれば、すごく由緒正しいお寺なのかもしれません。でも、なんだか地味な感じのお寺です(^_^;)



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2007/11/13  (火) 

常在寺(甲斐霊場第33番)

常在寺へ行く道は河口湖沿いのドライブコース。しばし、湖畔でクルマを停めて、富士山はどっちの方向だろうと……。あいにく上空に雲がかかり、方向はわかりましたが、冨士の姿を見ることはできませんでした。湖岸道路からちょっと入ったところに常在寺はありました。
 
門の前のちょっとした空き地にクルマを停めて長い参道を歩くと先方に鳥居らしきものが……。なんだか神社っぽいけど……。さらにまっすぐ行くと「社務所」がありました。そこではっきり認識すべきですよね、ここが神社だって。でも、社務所に行って聞いてみました。さすがに「ここは常在寺……、では、ありませんよね?」という聞き方になりましたが(^_^;)
 
ここは武田信玄の祈願所であった御室浅間神社。境内も参道もとても広々としています。n日蓮宗の常在寺はお隣でした。浅間神社の参道を途中で右に折れると、お寺の裏にでることができました。晴天なら境内から見事な富士山の姿が見えるそうです。うーん、相変わらず雲がかかっていて残念。
  
13世紀頃の開山らしいのですが、このお寺はたびたびの火災で焼けています。1949(昭和24)年にも堂を焼失したそうです。この数度の火災を免れたのは享保年間に作られた山門と宝蔵はだけだそうです。その後、本堂や鐘楼などは再建されています。
 

常在寺の寺宝には、鎌倉期に作られた金銅薬師如来立像や日蓮上人の直筆「下山御消息」、江戸初期に谷村城主納めたといわれる馬具一式などがあるそうですが、御朱印スタンプラリー程度じゃ見せていただくわけにもいきませんね(^_^;)
 
お墓所で納骨の儀を行っているご家族がありました。で、周囲を見渡すと、見える範囲内のお墓が全部、同じ名字でした。お〜、一族郎党! こういうお家は、きっと系図などもしっかり残っているのでしょうね。土地にしっかり根を張って生きている人々の姿を見たような気がしました。



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2007/11/12  (月) 

妙法寺(甲斐霊場第32番)

妙法寺の庫裏は、時代劇のセットのようでした! 間口13間、奥行き7間半といいますから、23.5×13.5メートルぐらいですか。1886(明治19)年にお寺が焼失したときに、船津にあった民家を移築したものだそうです。江戸末期の建築らしいとのこと、町の文化財になっています。当時の家具や、紀州徳川家のお抱え絵師、波羅蜜(雪岳)が杉戸に描いた鶴の図などが残されています。けど、呼べど叫べと反応なし。開けっ放しなのは、お留守でも家を見に来る人に開放しているということでしょうか。犬が2匹、こちらはつながれておりまして、おとなしいのですけど、見張り番?
 
このお寺には文化財がいっぱい。広い境内の左脇には三十番神堂があります。三十番神堂は法華経を守護する三十体の神像を祀る建物だそうですが、明治期の和洋建築。柱や鴨居などに細密な彫刻が施されています。本堂も明 治時代の建築だそうです。珍しい村芝居の回り舞台もありました。いまでも、使っているのでしょうか。

  

妙法寺の起源は1278(弘安元)年、日蓮聖人が富士山麓で布教に歩いたとき、その説法に感銘を受けた農民たちが法華堂を建てたことに始まるそうです。そのとき、日蓮が農民たちの持ち寄った紙に曼荼羅を書きました。これが「二十八紙大曼荼羅」と呼ばれるもので、日蓮の曼荼羅ではもっとも大きいものだそうです。
 
この大曼荼羅は、妙法寺の本寺に当たる日法が開いた光長寺(静岡県)にのっとられて?いまでもそこにあるそうですが、妙法寺住職一代に1回限りの里帰りが許されるのだそうです。妙法寺は、代わりに日法が書いた十八曼荼羅がご本尊となっているそうですが、なんだかだまされたような話じゃないかなぁ(笑)

  



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2007/11/11  (日) 

酉の市「花園神社」

今日は一の酉。各地の鷲神社の祭礼で、古くは酉の祭と呼ばれていたそうです。大酉祭、お酉様とも呼ばれています。私は花園神社に行ってきました。すごい賑わいで。参道は左右にいっぱいお店がついて、外の靖国通りも区役所通りのあたりまで、ぎっしり歩道にお店が出ていました。


酉の市といえば、一番人気はなんといっても浅草の鷲神社。吉原へ行く通り道にあるので、おかみさんには「酉の市に行ってくる」と言って吉原へ、なんていう噺もありますね。バブルの頃は、花園神社も宵宮が深夜になってからが佳境だったそうです。お店がひけたホステスさんを腕にぶら下げて、鼻の下をのばしたおっさんが、「大きいの買って〜」なんて言われると、やに下がってシャンシャンシャンと手締めという風景が見られたそうです。いつの時代も男ってヤツは……(笑)

  
今年は宵宮が雨模様でした。人出はどうだったのでしょうか。商売繁盛の縁起物ですから、雨が降ろうと槍が降ろうと、かもしれません。この酉の市で縁起物の熊手を買うという風習は関東のものなのだそうですね。へぇ〜、全国区かと思ってました。

 
酉の市の縁起物の代表格は熊手ですが、これは鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえていて、鷲づかむという意味が込められているそうです。熊の手の形じゃないんですね。熊手は年々大きくしてゆくものとされています。大きさもさまざまなものが売られていますが、小さいのを買う人は縁起物初心者? 何十年と買い続けたら、どれだけの大きさになっちゃうのでしょうか? 置くとこ、困りそうですね。

  
福を掻きこむ熊手の他に「頭の芋(唐の芋)」や粟でつくった「黄金餅」があったそうです。頭の芋は頭になるような出世をする、芋は子芋を数多くつけることから子宝に恵まれる、黄金餅は金持ちになれるというようです。小金持ち? 欲がないようですね(笑) 幕末頃からは黄金もちに替わって「切り山椒」が縁起物となってきたそうです。花園神社でも売っていました。これを食べれば風邪を引かないそうですよ。

  
縁起物の市だけに、切り山椒をはじめ、打出の小槌とか南天の箸とか、縁起物系の露店も普通のお祭りよりは多かったように感じます。その中で、飴細工というのを見つけました。ピンポン玉ぐらいの飴が、職人さんの手によって数分で動物や鳥に変わっていきます。おもしろくて、しばらく見とれてました。かなりの人垣ができていました。昔の縁日では、けっこう当たり前にあったようなのですが、私ははじめて見ました。見ている人ばかりで、買ってる人が少ないのは、お店の人にとっては困りものかもしれませんけど(^_^;)

 
境内を出て、ふらふらと西武新宿のほうへ歩いていたら、後ろから赤色灯を回し、すさまじいサイレンとともに大型の消防車が2台、かっとんで行きました。どこで火事? と思っていたら、また2台。そして、救急車も。歌舞伎町の中へ入って行きます。ついつい、追いかけて、見に行ってしまいました。火事と喧嘩は江戸の華?(^_^;)

  
集まった消防車は、私が数えただけで梯子車も入れて12台。狭い路地に入りきれずに靖国通りで待機。「2階のマージャン店!」という声が飛び交っていましたが、幸い誤報か、小火程度ですんだようで、完全防備のファイアーマンが数名、ビルに入っていきましたが、ほどなく降りてきて解散指令みたいでした。しかし、繁華街でビル火災って連絡が入ったときは、消防署にも緊張が走ったでしょうね。西新宿方面からも四谷方面からも来ていました。ちなみに、パトカーが一番最後だったみたい(笑)

  
縁起堂本舗でもお正月の縁起物を取り扱い始めましたよ。「縁日ガイド」では、浅草の鳳神社の酉の市の風景もご紹介しています。



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承天寺(甲斐霊場第31番)
慈眼寺(甲斐霊場第38番)