ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/11/08  (木) 

月江寺(甲斐霊場第29番)

今日は立冬。秋の気配どころか、冬の足音という感じでしょうか。といっても、今日の東京は昼間はちょっと動くと汗ばむぐらいの暖かさでした。甲州も、朝晩は涼しいを通り越して寒いぐらいですが、日差しのあるときはけっこうホコホコしています。
 
国道139号線を進んでいくと「月江寺駅」という駅があります。駅名に名前があるくらいで、広くて立派なお寺です。昔は、参道も賑やかで、富士吉田市の中心的な商店街だったそうですが、いまはかつての賑わいは感じられません。地方の商店街はやっぱり厳しいようですね……。
 
相変わらず道を間違えて、本来なら下の道から参道、山門、本堂と進むべきを、上の道からお墓所を通って降りてきて、いきなり本堂の前に到着。境内は、ここで運動会ぐらいできそうなくらい広々としています。こういうロケーションだと、かえってどこにクルマを停めるべきか悩みますね。ど真ん中? まさかね。
 
月江寺ははじめは富士山別当称光院という富士浅間神社の祈願所だったそうですが、室町時代に入る頃にはすっかり廃れていたそうです。室町時代になって向嶽寺(甲斐霊場第12番)の禅僧、絶学無能が祥春庵という庵を開いて再興したそうです。
 
このものすごく謙虚なのか、ものすごく自信家なのかわからない名前の禅僧は、あちこちで中興の祖になっているようですね。よく名前がでてきます。少なくともものすごくエネルギッシュな……禅寺の修行僧にそぐわないイメージの言葉です(笑) ガリガリに痩せていて、柔和な顔で、ものすごい精神のパワーをもっていたって感じでしょうか。
  
その絶学無能師がせっかく再興したのに、その後、このお寺は結局、無住になってしまったそうです。江戸初期に禅心聖悦という禅僧が再開山して、いまのお寺になったのだとか。潰れなくてよかったです。 月江寺の寺宝には室町時代の作で「絶学祖(無)能」「三光国師」「法燈国師」の三画像がり、月江寺が向嶽寺末寺であったことを示すものだそうですが、ひょっこり出かけて行って、おいそれと見られるものではありません(^_^;)
 
境内に入ると正面に本堂。東側の隅に鐘楼が建っていますが、これは新しく、最近になって建て直されたように見受けられます。本堂の左右にはピカピカの文殊菩薩と普賢菩薩の像もあります。墓地の入り口にたたずんでいる観音様と、その脇に植えられた見事に紅葉したドウダンツツジの赤が素晴らしいコントラストを見せていました。
 
山門を降りていくと、左側にはこじんまりした池があります。カモが泳いでいる水辺の陽だまりで本を読んでいる人がいました。近所にこんな場所をもつ人は幸せですね。



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西方寺(甲斐霊場第28番)
常在寺(甲斐霊場第33番)