ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2009/06/24  (水) 

三学院

三学院の境内に入ると、あまりに美しい建物なので驚かされました。色遣いは派手ではないのですが、なんとなく中国的……。「何宗?」と言い合って、どこかに書いてないかと探してみました。「金亀山極楽寺」という正式名称まではわかったのですが、宗派は不明。「禅宗っぽくない?」などと言いながら、帰ってきて調べてみると真言宗智山派だということがわかりました。京都の新義真言宗智山派総本山智積院の末寺で、金亀山極楽寺三学院というのだそうです。創立年代は不明。ご本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることなどから中世以前の創建と考えられているそうです。
 
江戸時代、1591(天正19)年には、徳川家康から朱印状が授与され、それ以後の徳川歴代将軍からも同様に認められた寺院だったようです。江戸時代には「関東七ヵ寺」の一つに数えられ、僧侶の教育機関だったとか。それで学院なんですかね? 本堂の横には白木造りの真新しい建物が立っていて、何に使われているのかわかりませんが、カタログ写真にでもできそうなくらいきれいで立派。山門が朱塗りで、なかなかカラフル。境内の中央部分が青々とした芝生なのと合わせて、これが異国的に見える理由かもしれません。日本の寺院で芝生というのは、あまり見ないのではないでしょうか。それにしても広いです。境内横には三重塔もありました。
        
山門前の参道に六地蔵があります。右から3番目の石仏は寛永年間、他は元禄年間の造立と思われる銘が残っているそうです。参道には馬頭観音塔もありました。馬頭観音は比較的よく見るものですが、こちらのは正面に梵字で「ナム・カャグリーバ」(南無・馬頭観世音)と刻まれているというのは珍しいかも。18世紀最後の年になる1800年、蕨宿の安全を願って造られたものだそうです。
       



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2009/06/23  (火) 

和樂備神社

蕨城址の隣には和樂備神社があります。「なんて読むんだ?」と思ったら、単に「わらび」でした。1911(明治44)年に町内の18社を合祀して「和樂備神社」と命名されたとのこと。神社としては、歴史が新しいほうなのではないかと思います。歴史とは関係ないでしょうが、本殿もなんだか新しい感じ。境内が広くて、なんだかすっきりとしている印象があります。
 
もともとは蕨城を築いた渋川氏が、守り神として八幡大神を奉斎したのがはじまりだともいいます。神社の古い御神体「僧形八幡立像」には、1583(天正11)年と書かれた銘があるそうで、創建は16世紀かもしれません。江戸時代には「蕨八幡」と呼ばれ、蕨宿の鎮守様として大事にされていたようです。いまでも、さりげなく買い物帰りのような方々が、自転車を降りて参拝している姿などがみられました。
 



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2009/06/22  (月) 

蕨城址

蕨城址は、江戸の絵図面によれば幅6間半の堀と幅4間半の土塁をめぐらせといいますから、12メートル弱のお堀と8メートル強の土塁があったということですね。これがお城として大きいほうなのか、小さいほうなのかは、私にはわかりませんが(^_^;) 14世紀半ばに足利将軍家の一族が武蔵国を治めるのに建てたお城だったそうです。江戸時代になって、初期の頃は家康の御殿になっていたとか。いまは、そうと言われればそうかもという感じの堀の一部が残されているのみ。1951年に本丸跡に蕨城址碑が建てられ、1974年に土塁の一部を復元して城址公園と市民会館になったとのことです。

 

 石碑の前は、ちょうどいい日陰になっているので、ここでお弁当を広げることにしました。そう、今回はお弁当持参。行程に城址公園があるというので、ありあわせでおかずをつくり、おにぎりをもってきたのでありました。たまには外で食べるご飯もいいものです。と、思ったら、数か所、蚊に刺されました〜。鳩も寄ってきます。ここでお弁当を広げる人って、けっこういるのではないかと思われます。鳩の近寄り方に熟練を感じましたから(笑)

 

入口にお地蔵様があり、そこにお酒をかけてお参りしている方がいました。しかも一升瓶で気前よく! お地蔵様と一升瓶はあまりにも似合わない感じがして、忘れ得ぬ思い出になりそうですよ。ちょっともったいないような気も(^_^;) 



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2009/06/21  (日) 

歴史民俗資料館

しばらくは交通量の多い国道17号線、いまの中山道を歩かなくてはなりませんが、しばらくいくとまた旧道が現れます。ガソリンスタンドの脇を入っていくと、ここが蕨宿のメインストリートだったあたり。ちょっとだけですが、古い家なども残っています。古いとはいえ明治とか昭和初期とかでしょうけど(^_^;) 郵便局の先に「市立歴史民俗資料館分館」という建物がありました。

 

門から覗くと、なかなか素敵なお庭が見えます。入場無料なので(笑)、お邪魔させていただくことにしました。明治時代に織物買継商の商家だったものを改装して資料館として公開しているものです。中山道に面した店舗の部分は、1887(明治20)年に建てられたものだそうです。 靴を脱いで、いろいろな部屋も見せていただけます。和室には「進徳脩業」と書かれた渋沢栄一直筆の書が飾られていて、知らん振りして帰ろうとしたら、係の方に「ぜひ、見て行ってください」と声をかけられました。「直筆なんです」とちょっと自慢そう(笑)

 

渋沢栄一って、この辺の人だったかな? と、その関連性にまったく見当がつきませんでした。あとで調べてみたら、この家に住んでた金子さんって人が、渋沢栄一の研究家で、たくさんの資料を収集していたという関連のようです。金子吉衛さんは蕨市長もなさったことがあり、渋沢関連の著書もあるとのこと。なんだか渋沢栄一にはずいぶん遠いような感じはしますが、お庭が素晴らしいので、その件は忘れます(笑)

 

この道をまっすぐいくと、次に本館があります。こちらは普通に近代的な資料館で、宿場と織物に関する展示がありました。模型や人形を使っての郷土に関する情報を提供しているという感じ。蕨って、織物の街だったんですね。はたおり機や江戸の庶民が旅している風情や宿などが再現されていて、なるほど・ざ・資料館です。この歴史民俗資料館の周りには本陣跡などの石碑がありますが、いずれも真新しい感じで、「そうですか」、「そうですよね」という感じで通過〜。



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2009/06/20  (土) 

戸田の渡し

いよいよ荒川を渡って中山道も埼玉県に突入! かつて渡し舟が通っていた川には、大きな橋がかかり、ゴーッと車が走っています。歩いて渡れるのかどうか不安でしたが、けっこう広い歩道がついていました。渡りきったところを左に曲がると、戸田の渡しの碑があると聞いていたのですが、まったく歩道のない道で、大きなクルマだとふれあいができそう(-_-;) 怖いので、河原の道に上がりました。それがよくなかったのか、その「碑」とやらは見つからず……。まあ、いいでしょう。「渡し」の形跡が残っているわけでもなさそうですし。
 
河原から旧中山道ではないかといわれている道へ階段を降りていくと、水神社がありました。この神社がいつ頃できたのかはわかっていないそうですが、正面の「水神宮」の碑には1796(寛政8)年と銘が刻まれているので、18世紀以前であることは間違いのないところでしょう。もともとは、もっと川っぺりにあったものを新しい堤防を作るためにいまの場所に移されたそうです。昔は、その年にはじめて採れたきゅうりをこの水神社に供え、この後、荒川に流してからでないと泳いではいけないとされていたとか。なぜ、きゅうり? 川ときゅうりの組み合わせは、どこかに河童伝説でも隠れていそうですが、そんな説明はなかったです。残念だなぁ(笑)
 
説明板に獅子頭が有名だと書かれていましたが、普段は見られません。7月中旬に行われる祭礼には飾られるのだとか。ちょっと、日程的に惜しかったですねぇ。でも、真夏に中山道なんか歩いたら日干しになりそうですから(^_^;) 大きくて美しい獅子頭だそうで市の指定文化財となっています。 この神社の脇の道が旧中山道らしき道なのだそうです。古い建物もなく、まぁ、単に道ですが、きれいに並木が整備されていて、歩くには快適でした。
 



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