奥社
今回は、ずいぶん久しぶりに奥社へも足を運びました。本社は道路に面した入口から1,900メートルもあり、フィニッシュはかなり登りなので、お参りするにもなかなか根性が必要な神社なのです(笑) 参道はもう花粉を撒き散らすこともない杉の古木に囲まれ、鳥の声がそこここから聞こえてくる、「これぞ参道」という風情ではあるのですが。
参道のわき道は自然植物園になっていて、いまの季節なら水芭蕉も見られ、こちらを歩くのも、いまはやりの言葉で言えば、癒されます。しつけの悪いガキどもが走り回り、奇声を上げ、そこらへんの草をむしったりして騒がしくなければ……(-_-;)
奥社には「天手力男命」が祭られている本社と、「九頭龍大神」が祀られている九頭龍神社があります。まさに神話の世界ですね。
ここにはまだ雪が残っていました。どーりで肌寒いわけです。境内、といっても、本当に山肌を削ったようなスペースですが、ここにある滝の音も涼しさよりは寒さを感じます。真夏になると、汗びっしょりになって登ってきて、滝の音に清涼感を感じるということになりますが。
参道の脇を目を凝らしてみると、ひっそりと「かたくり」が花を咲かせていたりします。「かたくり」が芽を出してから花をつけるまでには7、8年かかるということなので、ポツンと咲いているのを見かけると「ご苦労さま」と声をかけたくなるような。可憐というよりは切ない感じでしょうか。一輪草や二輪草などもときおり身を寄せ合うように咲いています。北国の春はいっきに来る感じで、咲くとなったらさまざまな花がいっせいに花開くようですね。華やかな花は少ないですが、それぞれに個性的です。
戸隠神社式年大祭
今回、空前絶後の渋滞が予測される中、がんばって信州へ出かけて行った第一の目的は戸隠神社の「式年大祭」を見ることでした。こちらも7年に1度。昔は丑年と未年、6年1度だったそうですが、いつから7年に1度になったのでしょう? 善光寺の御開帳にあわせたのでしょうか。今年は丑年なので、昔ながらの丑年と未年という意味では35年ぶりだとか。だとすると38年に1度のベイスターズの優勝を見るほうが希少ということになりますが(^_^;)
戸隠神社というのは奥社(本社)・九頭龍社・中社・火之御子社・宝光社の5社をまとめた呼び名です。「式年大祭」は4月26日から5月20日までですが、5月3日に行われる「渡御の儀」がメイン行事の一つ。かつては奥社まで御神輿が渡御されていたそうですが、現在は一番下にある宝光社の神様「天表春命」が、メイン社の中社の父神様「天八意思兼命」のもとに渡って父子のご対面が「渡御の儀」ということになっています。神様に親子関係があるというのもおもしろいですね。7年ぶりに実家に帰った?天表春命は2週間滞在なさるそうで、17日には宝光社に帰る「還御の儀」があります。
天表春命は、600キロもあるという御神輿に乗って午後1時半に宝光社を出発し、3キロの道を中社まで登ってきます。私たちは終点の中社に泊まっていたので、行列が通るのは4時ごろになりそう。午前中にちょっと宝光社をのぞきに行ってきました。表通りは3キロの道のりですが、裏の山をかきわけて……は、オーバーで、「戸隠古道」という山道があり、15分ほどで宝光社まで行けるという情報をつかんでいました(笑)
宝光社では渡御の儀を迎えるための「獅子舞」などが行われていました。私たちは上から行ったからいいんですけど、ここの階段、道路から150段以上はあります! 降りてみました。ということは? 結局、また登るハメに(笑) 2度の途中休憩が必要でした。
御神体が御神輿に乗るまでにはまだ時間があるので、引き返し、途中にある「火之御子神社」に立ち寄りました。名前からすると天照大神が祀られているのかと思いきや、天の岩戸を開けるのに功績のあった天鈿女命が祀られています。元祖ストリッパーとか言われていますね。不謹慎な!(笑) 火之御子神社はちょっとカヤの外の感じで、ひっそりとしていました。
表通りをがんばって歩いていた何人かのお客さまにうこっそり裏道の存在を案内し(笑)、中社に戻って行列を待ち構えることに。立派な御神輿は、なにせ600キロということで、担ぐ方々も大変です。30メートルぐらいごとに担ぎ手を交代しながら、ゆるりゆるりとやってきます。
神輿の前後には、先頭の天狗様、白い馬に乗った中社の宮司様をはじめ、御神楽やお稚児さん、山車などが連なり、賑やかです。いつもご厄介になっている宿のご主人も神職なので、盛装で行列に参加しています。カメラを構え、「おとうさーん、こっち向いて〜!」って、やっぱり不謹慎(^_^;) 行列の先回りをして中社にお参りし、御神体が中に入るのを確認し、御神輿の車庫入れ(笑)まで、しっかり見物してきました。
戸隠神社は江戸時代までは神仏習合でしたが、明治時代の廃仏稀釈で仏像は各地に離散したそうです。2003年からは式年大祭の期間中に、長野や千曲の寺院に分散した仏像5体を宝光社に集めて「離山仏里帰り拝観」を開催しています。善光寺にある「木造勝軍地蔵騎馬像」は、今回初の里帰りとなったそうです。戸隠神社の式年大祭は、なんだか離れ離れになっている友人や家族がめぐり合い、旧交をあたためる御祭りのようですね。
善光寺御開帳
善光寺本堂に安置される御本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、654(白雉5)年以来の秘仏だそうで、一般にそのお姿を望むことはできませんでした。鎌倉時代に御本尊の代わりとして「前立本尊」が造られたそうです。「前立本尊」は、一つの光を背景に中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ「一光三尊阿弥陀如来」像。普段は御宝庫に安置されていますが、特別に拝見できるのが7年に1度の御開帳です。というわけで、GWの大混雑をものともせず、善光寺まで出かけていきました。次の2016年まで生きているかどうかわかりませんものね(^_^;)
阿弥陀如来の右手には、糸が結ばれ、この糸はずーっと長―く延ばされて、白い善の綱として本堂の前に立つ回向柱につながっています。その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じことになり、前立本尊とのご縁が結ばれることになるそうです。現在の本堂建立のときに普請奉行にあたった松代藩が奉納したのがそもそもの始まりで、毎回、松代町から回向柱が奉納されるそうです。もちろん、今年も松前町からやってきました。高さ10メートルにも及ぶ回向柱の奉納パレードもあったようです。はじめの一歩として、この回向柱に触れる旅。待ち時間1時間は当たり前、なんと最大2時間近くは行列しないと柱には近寄れないようです。とりあえず柱は拝見したので行列はパス(^_^;)
なぜならば、その次の「前立本尊」を参拝する旅も行列2時間だったからです(-_-;) これだけは、並んで拝見しないことには7年に1度の意味がないし。無理やり誘った連れがいてよかったです(笑) 2時間は長い……。まず、本堂にたどり着くまでに1時間、履物を脱いで本堂にあげていただいて1時間……。行列というものは、なぜか大外に隙間ができます。蛇行しているので当然といえば当然ですが。係の方から、「前に行っちゃって結構ですから詰めてください」と声がかかったとき、外側にいた私たちはツツッと前へ。15分ぐらい稼がせてもらったかも(笑) スキーのリフト待ちと同じ要領ですね(^_^;) ズルしたわけではありません。係の指示に従っただけですよ。念のため(笑)
ご本尊は思っていたより小さいものでした。横一列でお焼香をして、参拝します。大勢が順番を待っている状態なので、ゆっくりお顔を拝見というわけにはいきませんが、これはいたし方のないところです。並んでいる間に、これも普段はなかなか上げてもらうわけにはいかない本堂の天井や壁の装飾などをじっくり拝見しました。撮影禁止です(-_-;)
参拝が終わると次は「お戒壇めぐり」。これは本堂の地下の真っ暗な回廊を巡るものです。これも2時間行列。以前にめぐったこともあり、とくに御開帳のときでなくてもめぐることはできるので、こちらもパスさせていただきました。お戒壇のあとは「御印文」で頭をなでてもらう儀式もありますが、これも見ただけで……。なんというショートカットでしょう(笑) かわりに「おびんずるさま」はしっかりなでてきました。主として頭。少しはよくなりますかね?
春のお菜
たけのこを買ってきたら、ご近所から茹でたけのこをいただき、煮たり、炒めたり、たけのこご飯にしたりと毎日がたけのこ攻め(笑) 旬のたけのこは本当においしいので、毎日でも飽きませんけれど。この時期しか食べられないのですから、存分に堪能したいと思います。
昨日は、蕗をいただいたので、これも煮てみました。すると、北のほうの温泉に出かけていた家のものが、わらびとたらの芽をもって帰ってきました。食卓は、春のお菜でにぎわっています。たらの芽は、ちょっと揚げすぎ!(^_^;) もう1回分ぐらいあるので、今度はもう少し弱火で上手に揚げたいのですが、はたして……。
新型ウィルス騒動は鎮静化する気配がありませんね。こんなときにターミナルへ行くというのはリスクアップに役立ちますが(笑)、今日は東京駅へ行っていました。みまわすところ、マスク姿はときどき、ちらほらという感じ。みんな切迫感はないですよね。横浜の高校生もセーフだったそうで。いちばんパニクっているのは、政府じゃないですかね、外添さん? 開港博中止とか(笑) Y150が中止になったら、スタジアムも閉鎖ですか? 横浜ベイスターズ不戦敗? いっくらなんでも、それは勘弁してね(-_-;)
高安寺
税務署を出て、今度は都税事務所。こちらは一駅先の府中にあります。お天気がよかったので、120円を惜しんで歩いていくことにしました。トコトコと歩いていると「高安寺」というお寺に遭遇。府中は古くから開けていた宿場町なので、けっこう古刹もあります。古い地名は「番場」というそうですが、いまは公園の名前にぐらいしか残っていません。西何丁目とか東何丁目とかに統一してしまうのって、つまらないですよね。「番場」という地名からは、「ひょっとしてこの辺に番所でもあったのかしら?」という空想の風船を膨らませることもできるのに。
ふらりと訪ねた高安寺は、足利尊氏が古い寺を再興して「龍門山高安護国禅寺」として建立したのが始まりといいます。14世紀半ば。本当の古刹に遭遇してしまったようです。高安寺の名は尊氏が改名する前の「高氏」からとられたとか。往時には末寺が75もある大寺院だったそうです。いまは本堂もそれほど大きくなく、山門もシンプルだったのですが、仁王門が立派。享保年間に建てられたとう観音堂に風情がありました。密かにお参りして……、何かいいことがあるでしょうか?