初滑り
宿泊した宿の前には、宿の人が子どもたちと一緒に作った大きなかまくらがあります。作ったのは中学生らしいのですが、小さな子どもが嬉しそうに出たり入ったりしていました。初めて雪国に来た子どもは、きっと珍しくて、楽しくてしょうがないのでしょうね。
私の初滑りはスキー教室のお手伝い。集合して、体操して、板を履いて、技術力別のクラス分けに出発。……と、うまく板が履けずに取り残されそうになった方がいました。はい。私が残り、手取り、足取り、ひざまずいて靴をおなめ状態で、靴の裏の雪を取り、やっと雪上に立ったときは、他の方々はリフトの上でした。リフト乗り場まで誘導するのに、なんと、なんと、初滑りがバックボーゲンとなってしまいました。あぁ〜。しょうがないですね、お仕事です(笑)
クラス分けが行われたあとは、ビデオをもって、あっちの班へ、こっちの班へと渡り鳥。初めて使うデジタルビデオで、まったく上手に撮ることができず、あとで再生してみたら目が回りそうというべきか、酔いそうというべきか(笑) 被写体のみなさまには誠に申し訳のない映像となってしまいましたm(_ _)m 小さくて軽くて、ズームの効きすぎるビデオカメラは誠に取り扱いが難しいと思い知りました。
一夜明けて、翌日は小雪。寒くはありませんでしたが、昨日はあんなにくっきり見えていた高社山がまったくかすんで存在感を消しています。まったく、山の天気というのはわからないものです。天気と一緒に私の足腰も絶不調。故障しているというのに、働きすぎです(-_-;) 日曜日は最終日ということもあり、ゲレンデを休んで事務仕事に専念しました(笑) けっこうやることがあるんですよねぇ、団体さんをご案内していると。
スキー教室
スキー教室はバス利用で公募。参加表明をしてくださった方々の平均年齢は63歳だそうです。実は60歳以下は2、3人しかいません。その代わり、70歳以上もそこそこいます。年齢の高い方々は、みなさん、元気ですよ〜!
スキー人口ばかりではなく、ウインタースポーツの人口は減る一方ですね。どこのスキー場も青息吐息。青息でも吐息でも、息をしていられるのが不思議というぐらいのところもあります。昨年から今年にかけて、閉鎖を余儀なくさせられたゲレンデもけっこうあるようです。世界不況を待つまでもなく死者累々といったところ。
若い人は就職先もない人が続出するなかで、確かにスキーだ、スノーボードだと言っていられませんよね。でも、そればかりではなく、若い人があまりお外で遊ばなくなったという気がします。運動もスポーツというよりせいぜいが健康維持……のような。それに引き換え、スキーブームのときに青春時代を過ごした50代以降の方々、とくに60代以降のリタイヤ組はほんとっに元気に雪の上を疾走しています。どっちが高齢者かわからないですよね(笑)
どんな産業も、あと20年は、これらの人々を取り込まなくては成立しません。おーい、60代以降のみなさーん、スキー場へ帰ってきてくださーい!(笑) ブームのときとは違ってリフト待ちもゲレンデ混雑もなく、快適な時間をすごせますよ〜。
諏訪山吉祥寺
本駒込まで行く用事があったので、吉祥寺へお参りしてきました。榎本武揚さんのお墓参りです。函館まで抵抗するものの、最終的には維新政府の下にくだり、なんだか偉くなっちゃった人ですが、函館時代に土方さんがお世話になった人なので(笑)
帰りにこのお寺の近所を少し歩いてみたのですが、まるで道は迷うためにあるという感じ(笑) 駒込吉祥寺、駒込浅嘉という、江戸時代には諸藩の下屋敷や武家屋敷が置かれていたあたりだそうで、古くから開けただけに道も入り組んでいて、あげくに行き止まりもけっこうあります。道に迷ったときには「大丈夫、日本の道はつながっている!」というのを口癖にしておりますが……、つながっていないところもあるのですよ(-_-;)
太田道灌が、江戸城を作ったときに、現在の和田倉門あたりの井戸から「吉祥」と刻銘した金印がでてきたので、西の丸に建立したお寺が吉祥寺だそうです。17世紀半ばの明暦の大火で焼けてしまったので、現在のところに移ったのだとか。境内には後に駒澤大学となる学寮があり、幕府の「昌平黌」と並んで学問の拠点であったようです。
大きなお寺だったのが、東京大空襲でほとんどが焼失。当時の面影を残しているのは「経蔵」だけです。鐘楼も古そうではありますが、これも復元でしょうか。維新政府の閣僚となった榎本武揚のほか、薪を背負って勉学に励んでいる像で有名な二宮尊徳、明治の小説家川上眉山などのお墓があります。
もう一つ、ひときわ大きい「お七・吉三郎比翼塚」というのがありました。比翼塚というのは心中した男女などを葬った墓のことだそうです。井原西鶴の「好色五人女」の中では八百屋お七と寺小姓吉三との出会いが吉祥寺ということになっているので、それにちなんで建立されたものだそうです。本当にあった話を脚色したもののようで、実際にはそのお寺はご近所の円乗寺で、お七のお墓も円乗寺にあるそうです。白山にあるそうなので、行ってみよっと(笑)
多摩方面に住んでいる人間としては、「吉祥寺」と言えば、井の頭線でしょ?という感じです。これは無関係ではなくて、武蔵野市吉祥寺の地名は、明暦の大火にあって吉祥寺近辺の人々が行き場を失い、現在の武蔵野市一帯を開墾して地名を吉祥寺と名づけたそうです。そういえば吉祥寺駅の近くには吉祥寺というお寺はありませんね。
内視鏡
椅子に座らされ、「鼻から内視鏡を入れて内部を見ます」と。ひぇ〜、そんなこと……と思っても、これはまな板の上の鯛、いや鯵みたいなもんですよ。優しい感じの女医さんでしたが、悪魔に見えました(-_-;) 身体中に力が入ってしまうのです。看護士さんに「力を抜いてくださ〜い」と何度も言われました(^_^;)
耳鼻咽喉科というのは、子どもの受診がけっこう多いようですね。泣き叫んでいる声を何人も聞きましたが、これは泣き叫びますよ〜。看護士さんはそういう子どもをあやしながら受診させるクセがついているのでしょう、なんと私にまで「だいじょうぶでちゅよ〜」という感じであやしてくれました(笑)
ガンでもおかしくないという多角的な症状ではありましたが(笑)、声帯に炎症を起こしているだけのようです。ポリープ状の……という但し書きがあったので、まだガンの可能性を秘めているかもしれませんが、まあ、思い過ごしも恋のうちって感じでしょう。違和感のある食道は、ここでは中まで点検はできないそうですが、入口はきれいですとのこと。1週間ほど様子をみて……と薬をいただきましたが、1週間後にまた、あの内視鏡ですか〜? 薬を飲んで、とりあえず症状が改善したら、もう行かないかもしれない……(笑)
いわくつきのソファ
我が家はとにかく入口の狭い家でして、玄関はもちろん、庭から回そうとと思っても、庭に入る木戸からも入らない大きさ。ついに垣根の杭を抜いて中にいれ、再び杭を埋めなおすという結果になりました。頼んだのがそもそも垣根を作ってくれた植木屋さんだったのがよかったというか(^_^;) 一間のガラスを開けた三尺の隙間では部屋に入れられず、ガラスを全部はずして入れたくらいです。って、いま頃の人は三尺って言ってわかる人は少ないじゃろーのぉ〜。半間というのかな。しかも一間を「いっけん」と三尺を「さんじゃく」と読めない人も多いのかも。やっぱり、このあたりは天保生まれのボキャブラリーかのぉ〜。はい、三尺は約90センチです(笑)
このソファ、イタリア製の本革で、買えば0が6つついちゃうという高級品ですが、実はいわくつきのシロモノ。元はといえば「オレオレ詐欺」の加害者の持ち物だったのです。自動車関係の事務所に出入りしていた業者さんの知り合いの息子がオレオレ詐欺で捕まり、弁護士さんに「できるだけ弁済することが少しでも罪を軽くする道」と教えられ、住んでいた家の家具や電気製品を一切合財、処分することになり、当時、景気もそう悪くなかった自動車屋さんが引き取ったという経緯がありました。加害者たる豚野郎は有名芸能人が住んでいるようなすごいマンションに住んでいて、家財道具なども贅沢し放題だったそうです。
未成年だったので普通は拘留数か月で少年院送りとなるところを、1年以上も未決で拘留されていたそうです。というのも被害額が何億っていう額で、しかも高齢者の被害が多く、悪質だったのだとか。本当に豚野郎ですよね。2年ぐらい前の話なので、いまは少年院でしょうか、それとも成人すると刑務所に移されるのかしら? いずれにしても根性叩きなおして出てきてもらいたいものです。
この事件は、まだ「振り込め詐欺」が「オレオレ詐欺」と言われていた頃のことで、世間の認知度も低く、元手もいらずに濡れ手に泡のように稼いでいたらしいです。こんなにいろいろな方法で警告されているにも関わらず、いまでもまだ被害にあってしまう方もいらっしゃるようですね。家にも一度、そういう電話がかかってきたことがあります。友人でも何人かに、そういう電話がかかってきた話を聞きました。中には学校の名簿が流出したらしく、同級生宅にいっせいに電話があったというケースも。
我が家では、「交通事故の示談金が……」なんて言われたら、「娘が悪いことをしたのなら、遠慮なく留置場でも刑務所でもぶちこんでやってください」と言うようにと、母には申し伝えてあります(^_^;) という「いわく」のあるソファがでーんと。このソファのために泣いた人がいる……と考えても致し方がないので、振り込め詐欺にひっかからないための「見える教訓」として置いておきたいと思います。