高竜寺(甲斐霊場第74番)
狭い道をぐるぐると回り、高竜寺の門らしきものに到着。でも、門だけ? しかも、クルマはこれ以上は進めないようです。ぐるりと回れば、きっと境内に行ける! と固く信じて、いったん門の前を通過し、迂回すると、畑の中の道のようなものがあり、やっぱり本堂の前まで行けました。
このあたりのお寺は、門と参道、本堂と境内が分離しているところが多いような。きっと、できたときは全部がつながっていて広大な敷地だったのでしょう。参道をはさむ森や林が、いつしか農地や宅地に変わって、分離しているような構造になったことが伺われます。
高竜寺の総門から本堂へと続く参道は220メートルあるそうです。これを歩くのもまたよきかなという感じもしますが、諸般の事情により境内に乗り付けさせていただきました。本堂は江戸時代初期の建造だそうです。
いまはひっそりとたたずんでいるという感じの本堂。本堂裏には樹齢400年といわれるカヤの巨木がそびえたっています。市の指定文化財になっているとか。ちょっと足元が悪くて、近くまでは行かれなかったのですが、屋根の上に伸びる枝だけでその大きさは実感できます。
ご朱印をいただいたときに、このカヤの実を一緒にいただきました。このままカリカリと食べるのだそうです。「癖になる味ですよ」 と大黒さん(とは、言わないのかしら? 曹洞宗)はおっしゃいましたが、これしかないと思うともったいなくていまだに食べることができません(^_^;)
もう夏?
昨日、立夏だったんですね。これから8月上旬までは、暦の上では夏の扱い。8月の暑い盛りに立秋だと言われてもピンときませんが、温暖化の影響もありましょうか、今日から夏ですと言われれば、「そうかもしれませんねぇ」なんて、思っちゃいそうです。
今日はGWの最終日、道路も列車も飛行機も大混雑だったようです。今年は休みが短い人も多かったようで、UターンならぬVターンのような、のんびりできない帰省や旅行で頑張っちゃった人も多いのかもしれません。
<ベニバナトチノキ
この日しか見られないお祭なども各地で行われていて、行ってみたいという気がしないでもありませんが、まあ、用もないのにウロウロして、混雑に一役買うこともあるまいと、例年通り寝GWを決め込み、蟄居しておりました。
とはいえ、今日のような快晴の日に、まったく家を出ないというのも芸がないと思い、神代植物園まで行ってきました。せっかく年間パスポート買ったことだし。けっこう混んでいるだろうとは思いましたが、やっぱり混んでいました。正面入口は行列! ここにはパンダはいませんよ〜(笑) 自転車もいっぱい停まっていたので、近所の人も多いのかもしれません。
<ヘレンローベル
この前、行ったときには桜、桜だったのに、いまはすっかり新緑。まるで違う公園に行った様に様変わりしています。芝生で遊んでいる家族連れもたくさんいました。数件だけの売店や露店も盛況。ちょっと前までは見向きもされなかった木陰のベンチでお弁当を広げる人々も多く、座れるところは満員御礼のような状態です。
まだ、つぼみのほうが多いのですが、牡丹や薔薇がそろそろ花を咲かせ始めました。今週末から(お天気はイマイチのようですが)、来週ぐらいに見ごろを迎えるのではないでしょうか。
<苗木を販売するテントも出ていました>
私の知らないところでこれまでも、こうやって花は咲いていたのだなぁ。ブログなんか書き始める前は、用事で出かける以外は家でゴロゴロして、いつ、どこで花が咲こうがどこ吹く風という生活を送っていました。カメラなんか持って、外をブラブラするようになって、自然の移り変わりを意識して見るようになったかも。ブログの功名?
再び、トルコ料理
末広亭の並びの「ボスポラス・ハサン」というお店。ハサンは、店長のお名前だそうです。渋谷の「アンカラ」がキリム(平織物)のイメージなら、こちらはイズニック・タイルのイメージ。「辛い野菜の料理」と「ひき肉のピザ」と「ドネルケバブ」を注文しました。
本当はいろいろと珍しい物も頼んでみたかったのですが、実はあまりお腹がすいていなかったという悲しい事情がありました(笑) お腹はすいていないのだけれど、今食べておかないと後で食べる時間がない……なんていうこと、ありますよね。それです。
それでもおいしかったです。お店を出て路地を曲がると、そこには「イスタンブール」という名前のやはりトルコ料理屋さんを発見。次はこちらを試してみよう!(笑)
途中で止まっていたトルコ紀行、やっと書き上げました。とはいえ、時間がたってしまったので勢いはなくなったかな? それでも、一応、完結しておかないと気持ちが悪いので(^_^;) あまりに長すぎて、うんざりされてしまっているらしく、どなたからも感想はいただけていませんが(笑)
清泰寺(甲斐霊場第73番)
このお寺が誕生したのは、平安時代の終わりごろ、1127(大治2)年といわれています。「清泰」という名前は「清和源氏が安泰であるように」という意味があるそうで、甲斐源氏との縁が深かったことをにおわせています。もとの建物は14世紀末から15世紀初頭に焼失。再興された建築も18世紀初頭の火災で焼け落ちたとのこと。唯一、残っているのが茅葺の総門だそうです。屋根には苔がむしており、歴史を感じさせます。
お留守のようなので、勝手にお参りさせてもらいました。境内には石造も多く、歴代の住職さんのお墓もずらりと並んでいる。あまりの数の多さに、一代25年として……、なんて指で数えてしまったり。本堂前には和尚がこの石に座って悪龍を退治したと伝えられる「座禅石」などもあります。ここで座禅を組むのは、痛くて、冷たくて、大変な修行だったのでしょう。
そろそろ帰ろうと支度をしているところに住職さんがお帰りになりました。そこで運良くご朱印をいただくことができました。やっぱり、日頃の行いがいいからね!(笑)
清光寺(甲斐霊場第72番)
武田氏の始祖、甲斐源氏の逸見源太清光が1151(仁平元)年に創建したのがこのお寺。はじめは信立寺といっていましたが、清光が亡くなった後、清光の菩提寺となって清光寺に改められました。逸見源太清光の子信義が武田庄の庄官となり、武田太郎と名乗ったのが武田氏のはじまり。信玄の先祖に当たる方ですね。
創設当時は天台宗だったそうですが、1475(文明7)年に曹洞宗に改宗しています。お寺の形はそのままで宗派が変わるというのは、私には意外な感じがしていましたが、このお寺参りをしていてけっこう多いことに気づきました。その場合、信徒さんもそっくりお宗旨替えするんでしょうかね? なんだか、拝むものはなんでもいいよっていう感じの日本人の宗教観?(笑)
清光の墓碑は境内から小高いところに上がったところにあります。山を眺めるのが好きだった方のようですが、ここからも八ヶ岳など周囲の山々が見渡せます。
立派な本堂の前には樹齢250年といわれるイトザクラがあります。満開は4月上旬で、花見にたくさんの人が訪れるそうです。残念ながら、もうこの季節は葉桜に。隣にある桜も、もうそろそろ終わり。風もないのに花びらがはらはらと舞い落ちてきます。この舞い落ちる花びらがとても大きくて驚きました。植物はまったくわからないのですが、花びらが大きい種類の桜があるのでしょうか。
鐘楼の後ろに芥川龍之介の句碑があります。1923(大正12)年8月に龍之介がこのお寺を訪れた記念のようです。 8月では龍之介も見事なイトザクラの開花は見損なったわけですねぇ。