大泉寺(甲斐霊場第59番)
大泉寺は1521(大永元)年、武田信虎が自分が死んだときに眠るために開山したといわれる曹洞宗の禅寺です。信玄によって今川に放逐された信虎。息子の信玄(1573年没)よりも長生きして、1574年まで生きましたが、結局、二度と甲斐へは帰れませんでした。死後、孫の勝頼によって、大泉寺において葬儀が営まれました。そこが信虎の菩提寺となったのですから、まあ、望みはかなえられたと言えるかもしれません。
いまでも、戦場から葬儀にかけつけた勝頼が手を洗ったという井戸が残されていて、境内には江戸時代に柳沢氏によって建立された信虎・信玄・勝頼の武田家三代の供養塔があります。
本堂は1945(昭和20)年の甲府空襲で焼失してしまいましたが、1965(昭和40)年に再建されています。本堂の左手奥には柳沢家が寄進したといわれる「御霊殿」があり、武田家三代の木像が安置されています。裏へ回ると信虎、信玄、勝頼のお墓があり、ちょっとうら寂しい雰囲気。
総門は幸い空襲の火災からも逃れ、「二段切妻作りの三間一戸門」という建築だそうですが、重厚な雰囲気をかもしだしている。門から本堂に続く参道は両側を杉木立ちに被われ、静かで、どことなく威厳を感じる風情。鐘楼では、毎年、大晦日に除夜の鐘が撞かれ、これは一般参加もできるようです。
お寺の脇にはダイコンの花が可憐に風になびいていました。
長禅寺(甲斐霊場第58番)
武田信玄の母大井夫人の菩提寺です。昨年の大河ドラマ「風林火山」で風吹ジュンがやっていた役ですね。大きなお寺ですが、「ご朱印をいただけますか?」とお願いすると、インタフォン越しに「うちはそういうのやってません」とあっさり拒否されてしまいました。本堂へ続く門も硬く閉ざされていて、進入禁止です。
大河ドラマの影響で、たくさんの人が訪れてうんざりしちゃったのか、それとも最初から信徒さん以外は拒絶する方針なのか……。確かに大河ドラマも終わっていて、しかも中途半端な平日なのに、私たちも含めて何人かの人がカメラを片手に来ていましたから、対応が面倒なのかもしれませんね。
武田信玄は臨済宗関山派に帰依し、京都五山をまねて甲府五山をおいたそうですが、長禅寺はその主座となる格式と由緒のある名刹。 現在は、臨済宗でも何とか派という系列には属していないようです。このお寺を開いた岐秀元伯が武田晴信に儒学、修禅、治国の基本などを教え、晴信が出家したとき信玄の法名を与えたのもこの方だそうです。
本堂の右手には三重塔、左手には五重塔が立ち、この五重塔のところからゆるやかな坂をのぼったさらに左奥に大井夫人の墓所があります。墓所の周りにはひっそりと桜の花が咲いているという風情ですが、この桜、幹には蔦がぎっしりと絡みついていて、息ができるのかしら? という感じ。
庫裏の前には大きな鐘楼もあります。三重塔はいかにも長い風雪を耐えてきたというたたずまいですが、いまは何か修復の工事が入っているようでした。あまりにも人を拒絶している感じが強くて、静かですが、ここはちょっと居心地が悪かったですね。
能成寺(甲斐霊場第57番)
能成寺は、山門から本堂までずっと石垣に沿って坂道が続いています。山門の脇には1890(天保11)年に立てられたという「名月や池をめぐりて夜もすがら」の芭蕉の句碑があります。これは息切れ坂ですねぇ。走っていいのかしらと思いつつ、クルマで上がっていきました。本堂の下に停めて、さらに階段を上がるとパッと視界が開けます。一面のブドウ畑。いまは枝が伸びているだけですが、秋になればたわわにブドウが実ることでしょう。
14世紀前半の貞和年間に八代郷に開かれたお寺で、後に甲府市西青沼に移され、16世紀末の文禄の頃にこちらに移転。やはり甲府大空襲でほとんどのものを焼失してしまったようですが、1542(天文11)年の「信玄の制札」、1591(天正19)年の「加藤光泰禁制」、などの文書がかろうじて残ったとか。
庭園には大輪の花を咲かせる牡丹園があるそうですが、あいにく牡丹にはまだちょっと季節がはやく、残念。108(実際には109)あるお寺には、桜が有名なところ、梅がきれいなところ、紅葉が評判のところと、風景もいろいろ楽しめるはずなのですが、順番を守って廻っていると、なかなかちょうどいいときにめぐり合えません。もったいないような気もしますが、季節外れは季節外れなりの風情もあるだろうと思うしかありませんね。1本ですが、桜もせいいっぱい咲いていました。
東光寺(甲斐霊場第56番)
入母屋造檜皮葺屋根の東光寺仏殿は、鎌倉禅宗様式の代表的な建築で国の重要文化財。室町時代の作といわれています。
本堂の裏には池泉観賞式の庭園があり、希望者には拝見させてくれるそうなので、声をかけてみました。最近はお寺さんでもインタフォンで「ピンポーン」というところが多いようですが、ここでは木槌で鐘をならします。なかなか響く音でした。
お庭の入り口は、武田菱の形に刈られたつつじ。なかなかおもしろいです。花が咲いたら、どんな感じになるのでしょうか? そう大きなお庭ではありませんが、静けさが伝わってくるような感じ。中国北宋様式というのだそうです。お寺もお庭も趣のある場所でした。でも、300円は高いかなぁ。
東光寺は長禅寺、能成寺、大泉寺、円光院とともに甲府五山のひとつに数えられる名刹。1121(保安2)年に新羅三郎義光が国家鎮護の祈願所として建設した興国院に始まると伝えられています。 平安時代なんですねぇ。
いっときは衰退したものの、その後、1268(文久5)年に禅宗寺院として再建され、戦国時代は武田氏の保護を受けていたそうですが、武田滅亡のときに織田方にほとんどを焼き払われてしまったとか。その後も甲府大空襲で焼かれ、重要文化財の仏殿だけがかろうじて残った模様です。本堂などは戦後の建物。
尊躰寺(甲斐霊場第55番)
境内は静かでこじんまりとしており、1本の桜の樹が春を謳歌していました。ご本尊は「真向三尊阿弥陀如来」図像だそうですが、丸焼けになった甲府空襲のときも、このご本尊は焼け残ったのだそうです。信虎が難病にかかったとき、この本尊の霊験によって全快したと伝えられますが、やはり霊験あらたかなのかも。徳川家康が甲斐に入ったとき、このお寺に陣を張ったのも、この霊験にあやかろうとしたからだとか。
境内には、佐渡金山奉行で知られた大久保長安の供養塔があります。なかなかやり手の方だったようですね。武田信玄に仕えていたにもかかわらず、家康に家臣として重用され、手腕を振るった人。イメージとして権謀術策という感じがするのは、娯楽小説の読み過ぎかも(笑)
ここには「目には青葉山ほととぎす初鰹」の句で知られる山口素堂の墓もあります。そういえば、もうそろそろ初鰹の季節が近づいている感じです。高級なお鮨屋さんのぼんぼんは、もう初鰹を召し上がったとか。庶民の口に入るのは、まだ先のことになりそう。初鰹どころか、最近、スーパーに行っても物の値段がじわじわ上がってるようで、暮らしにくい世の中ですよね。