能成寺(甲斐霊場第57番)
能成寺は、山門から本堂までずっと石垣に沿って坂道が続いています。山門の脇には1890(天保11)年に立てられたという「名月や池をめぐりて夜もすがら」の芭蕉の句碑があります。これは息切れ坂ですねぇ。走っていいのかしらと思いつつ、クルマで上がっていきました。本堂の下に停めて、さらに階段を上がるとパッと視界が開けます。一面のブドウ畑。いまは枝が伸びているだけですが、秋になればたわわにブドウが実ることでしょう。
14世紀前半の貞和年間に八代郷に開かれたお寺で、後に甲府市西青沼に移され、16世紀末の文禄の頃にこちらに移転。やはり甲府大空襲でほとんどのものを焼失してしまったようですが、1542(天文11)年の「信玄の制札」、1591(天正19)年の「加藤光泰禁制」、などの文書がかろうじて残ったとか。
庭園には大輪の花を咲かせる牡丹園があるそうですが、あいにく牡丹にはまだちょっと季節がはやく、残念。108(実際には109)あるお寺には、桜が有名なところ、梅がきれいなところ、紅葉が評判のところと、風景もいろいろ楽しめるはずなのですが、順番を守って廻っていると、なかなかちょうどいいときにめぐり合えません。もったいないような気もしますが、季節外れは季節外れなりの風情もあるだろうと思うしかありませんね。1本ですが、桜もせいいっぱい咲いていました。
東光寺(甲斐霊場第56番)
入母屋造檜皮葺屋根の東光寺仏殿は、鎌倉禅宗様式の代表的な建築で国の重要文化財。室町時代の作といわれています。
本堂の裏には池泉観賞式の庭園があり、希望者には拝見させてくれるそうなので、声をかけてみました。最近はお寺さんでもインタフォンで「ピンポーン」というところが多いようですが、ここでは木槌で鐘をならします。なかなか響く音でした。
お庭の入り口は、武田菱の形に刈られたつつじ。なかなかおもしろいです。花が咲いたら、どんな感じになるのでしょうか? そう大きなお庭ではありませんが、静けさが伝わってくるような感じ。中国北宋様式というのだそうです。お寺もお庭も趣のある場所でした。でも、300円は高いかなぁ。
東光寺は長禅寺、能成寺、大泉寺、円光院とともに甲府五山のひとつに数えられる名刹。1121(保安2)年に新羅三郎義光が国家鎮護の祈願所として建設した興国院に始まると伝えられています。 平安時代なんですねぇ。
いっときは衰退したものの、その後、1268(文久5)年に禅宗寺院として再建され、戦国時代は武田氏の保護を受けていたそうですが、武田滅亡のときに織田方にほとんどを焼き払われてしまったとか。その後も甲府大空襲で焼かれ、重要文化財の仏殿だけがかろうじて残った模様です。本堂などは戦後の建物。
尊躰寺(甲斐霊場第55番)
境内は静かでこじんまりとしており、1本の桜の樹が春を謳歌していました。ご本尊は「真向三尊阿弥陀如来」図像だそうですが、丸焼けになった甲府空襲のときも、このご本尊は焼け残ったのだそうです。信虎が難病にかかったとき、この本尊の霊験によって全快したと伝えられますが、やはり霊験あらたかなのかも。徳川家康が甲斐に入ったとき、このお寺に陣を張ったのも、この霊験にあやかろうとしたからだとか。
境内には、佐渡金山奉行で知られた大久保長安の供養塔があります。なかなかやり手の方だったようですね。武田信玄に仕えていたにもかかわらず、家康に家臣として重用され、手腕を振るった人。イメージとして権謀術策という感じがするのは、娯楽小説の読み過ぎかも(笑)
ここには「目には青葉山ほととぎす初鰹」の句で知られる山口素堂の墓もあります。そういえば、もうそろそろ初鰹の季節が近づいている感じです。高級なお鮨屋さんのぼんぼんは、もう初鰹を召し上がったとか。庶民の口に入るのは、まだ先のことになりそう。初鰹どころか、最近、スーパーに行っても物の値段がじわじわ上がってるようで、暮らしにくい世の中ですよね。
春の嵐
春の嵐とはいっても、北風ビュービューで、今日の関東地方はものすごいお天気でした。横浜スタジアムなんか絶対中止だと信じ込んでいたのに、テレビをつけたらやっていたのでびっくり。しかも、つけた瞬間に逆転されてるし(-_-;) やってるほうも見ているほうも、さぞや寒かったのではないかと思います。勝てる試合を引き分けにしたのは残念でしたけど。
勢いで書いてるトルコ紀行、続きをアップしました。やっと、明日はイスタンブールというあたりまでこぎつけて、もう勢いがなくなりなりかけていたり(笑) 「トルコ紀行続き」は、こちらです。よろしかったら、のぞいてみてください。
信立寺(甲斐霊場第54番)
日蓮宗の広教山信立寺があるのは、甲府市若松町。このあたりは予想以上にたくさんのお寺があって驚かされます。信仰心の強い地域だったのでしょうか。早くから開け、文化が栄えたからかもしれません。とくに若松町近辺にあるお寺は、こう浮上築城のときに移ってきたお寺であるようです。
立派な山門も本堂も比較的、新しい感じがするのは、やはり甲府空襲で焼失してしまったのでしょう。あいにく、お寺さんはお留守。庭には鮮やかな色のチューリップをはじめ、春の花がたくさん植えられていました。庫裏の入り口にも色とりどりの花壇が。きっと、花の好きな優しい方が暮らしているのではないかと思わせます。で、ここの境内でお弁当を広げさせていただきました。無断ですけど、お許しください。
信立寺は身延山久遠寺の宿寺として身延山と一体に扱われ、徳川の御朱印も身延山と一紙で与えられていたそうです。昔はすごく大きなお寺だったとか。武田信虎の帰依を受けて1522(大永2)年に身延山13世日傳上人が建立しましたが、上人が身延山に戻らず、このお寺で亡くなったことから、久遠寺の隠居寺ともいわれているそうです。