ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2008/01/14  (月) 成人の日

祇王寺

お寺というより普通の民家のように見える祇王寺は、それもそのはず、もともと民家だったのですね。明治初年に廃寺となって、1895(明治28)年、元の京都府知事が別荘の緋と一棟を寄付したのが、いまの祇王寺なのだそうです。もともとの祇王寺にあった墓と木像が大覚寺によって保管されていたとか。
 
庭も大きなものではありませんが、苔が見事です。見本が出ているだけで20種類ぐらいの苔がありました。素人には似たように見えるので、どの苔がどの辺にあるのかはよくわかりませんが、庭一面を緑に染めて、美しいものでした。木々が葉を落としている中で、鮮やかに色彩を放っています。
 
ここは平家物語に出てくる「祇王」という白拍子にちなんだ尼寺です。平清盛に愛されていた人ですが、若きライバルにその座を追われ、母と妹とともに出家して祇王寺に入ったといわれます。それを知った若きライバル、仏御前も後を追って出家し、四人がこの寺の尼になったというお話。清盛のデリカシーのなさ(笑)と、白拍子たちの悲しみ涙を誘わずにはいられないという諸行無常の響きあり、です。ベンベン。
 
隣に壇林寺という大きなお寺があり、扁額に「蓮華精舎」と書いてありました。「祇園精舎」じゃなくて。こちらのお庭も拝見しようかと思いましたが、大勢さんが門前で楽しげに会議をしていらしたので、遠慮しました(-_-;)



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2008/01/13  (日) 

落柿舎

嵯峨野といえば、俳句をやる人もやらない人も、落柿舎の名前には聞き覚えがあるのではないでしょうか。松尾芭蕉の弟子、向井去来の草庵だったところだとか。私は当然、やらない人ですが、松尾芭蕉が落柿舎を訪れて句を残し、また嵯峨日記を記したのもここらしいというウワサは聞いたことがあります(笑)

 
落柿舎のいわれは、商人が庭に実った40本の柿の買い入れを決めて代金を置いて帰った日、その夜の嵐で柿の実が全て落ちてしまったことから生まれたといいます。庭にある句碑には「柿ぬしや木ずゑは近きあらしやま」と、そのできごとを詠んだ句が。それ以外にもたくさんの句碑が置かれていて、こじんまりした庭を飾っています。
  
庵には「一句ひねってください」の張り紙があり、投句箱も用意されていましたが、すみません、そんな教養はありません(-_-;) ここに投句された句の中で秀逸なものは落柿舎保存会のだしている季刊誌「落柿舎」に掲載されています。
  
とはいえ、もともの落柿舎は1770(明和7)年にはすでになく、今の落柿舎は1895(明治28)年に再建された建物だそうです。庭にまだ柿の実がわずかに残っていました(作り物じゃないよね?)。

 

そして門前に広い畑が残っており、ここにはいかにも「嵯峨野らしい」というイメージの景観が広がります。



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2008/01/12  (土) 

二尊院

二尊院は、釈迦如来と阿弥陀如来の双方を祀っていることからこう呼ばれているそうです。嵯峨野でもっとも古いお寺なのだとか。ホントにまあ、広いお寺ですねぇ。桜でも紅葉でも屈指のお寺らしいのですが、真冬もまた静かで落ち着いた雰囲気に魅力があります。
 
山門をくぐると、緩やかにのぼる広い参道がのびています。「桜の馬場」とか「紅葉の馬場」などと呼ばれているそうですが、いまは「冬枯れの馬場」。黙々と落ち葉の掃除をしている人がいました。「宮内庁」って書いてある軽トラックをお見かけしましたが?
 
石段を上がると、「黒門」という門があり、どこが黒? と思えば、裏側から見ると確かに黒に塗られています。表は風雪で色が落ちてしまったのでしょう。門をくぐると寝殿造りの立派な本堂が見えます。表からぼーっと眺めていたら、「どうぞおあがりください」と僧侶の方に声をかけていただきました。けど、先客が何人かいらっしゃったようなので、とりあえずはお庭のほうへ。
  
弁天堂を通り過ぎると「しあわせの鐘」がありました。本堂の前でどこからか鐘の音が聞こえていたのはこれだったのですね。誰でも自由に撞いていいようです。ゆっくりと三つ撞くのだとか。私は眺めただけで撞きませんでしたが、けっして、不幸なわけでも幸せになりたくないというわけではありません(笑) なんだか、静か過ぎて音をたてるのがはばかられるような……。
  
その横に長〜い階段があります。ちょっと登るのを躊躇するような角度と長さですが、この上に法然上人の廟があるらしいので、気合を入れて登っていくことにしました。この上のほうというのか、奥のほうには訪れる人が少ないそうですが、それもそうかもという高さと距離です。
  
法然上人の廟の左の奥には藤原定家の「時雨亭跡」といわれる場所があると書かれていました。ここにも? 確か常寂光寺も……? 特定できずに、他にもいくつかあるそうです「時雨亭跡」といわれる場所は。
 
廟から右のほうへ歩いていくと古いお墓がたくさんあります。朝廷とか公家とかいう時代のことはまったく知らないのですが、案外、小さいお墓です。天皇のお墓より、三條家とか鷹司家とかのお墓所のほうが大きいようですねぇ。公家のほうがお金持ちだったのかな?(笑)

 

りっぱな石が置かれているのはやっぱり角倉了以はじめ角倉家です。どれも聞いたことあるなぁ〜くらいの名前なのですが、お墓所もここまで古くなると墓地というより石碑という感じ。土御門、嵯峨、亀山天の三帝が分骨されているという三帝陵は鎌倉時代初期のもので重要美術品となっているそうです。
 
敷き石や木の根が張り出しているお墓所を歩いていたら、ひっかっかって軽く捻挫してしまいました〜。子どもの頃、「お墓所で怪我をすると一生治らないんだよ」と脅かされたことがあります。つまり、お墓でふざけたりするな!という戒めなのでしょうが、静かに歩いていてひねった捻挫は……、治ってくれますよね(^_^;)

  



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2008/01/11  (金) 

常寂光寺

大河内山荘の庭園の下ぐらいに当たるところに「御髪神社」という小さな社がありました。日本で唯一の髪の神社だそうです。美容師さんや理容師さんがよく訪れるのだとか。きれいになりたい人はお参りするといいそうです。御髪神社の前には小倉池がありました。水は濁っているのですが、山を映した鏡池になっていてなかなか風情があります。
 
池を通り抜けるとそこは常寂光寺。紅葉が見事なことで有名ですが、それは大幅に手遅れ。でも、寒椿もきれいだと聞いていたので、こちらはどうかなと思ったらフライング。山茶花も終わってしまったばかりで、ちょっとうら寂しい風景です。
 
やはり小倉山の中腹の斜面にあるので、境内から嵯峨野を一望できます。重要文化財の多宝塔の上から眼下に広がる街、連なる山々を堪能しました。平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったところだそうですが、やっぱり平安貴族は風流ですね。
 
常寂光寺は16世紀末に日モニいう日蓮宗の上人によって開かれたのですが、土地は角倉了以が寄付をしたものだとか。戦国時代の京都の豪商、と教科書で習ったような気がしますが、それにしてもスケールの大きな金持ちだったのでしょう。堂塔伽藍は小早川秀秋などの大名が寄進したそうです。
  
藁葺きの仁王門は南北朝時代の建築で本圀寺から移築されたもの、本堂は伏見城の客殿を移築したもの。500年前、600年前のものが普通にあるなんて、やっぱり京都ってすごいですよね。とはいえ、そこら辺の日本史は頭が空白。わけがわかなくても、風景だけを楽しみ、深くは考えないことにしました(笑)



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2008/01/10  (木) 

大河内山荘

京都には何度か訪れているものの、郊外へはあまり行ったことがありませんでした。今回は街をちょっと離れ、嵯峨野散歩。月並みだなぁと思いつつ、恋に疲れているわけでも人生に悩んでいるわけでもないので♪大原、三千院……はやめて、嵯峨野にしました。京都っ子にお勧めいただいたのが、大河内山荘です。
 
JR嵯峨嵐山駅を降りて、山荘に向かう道は、素晴らしい竹林でした。季節外れのウィークディですから、行き交う人も少なく、「静けさが迫ってくる」、というのは妙な表現ですが、そんな感じでした。ピンでも落としただけですごく響きそう。いかにも日本的という風情を感じます。
 
竹林を抜けると、大河内山荘の入り口。ここは、大河内傳次郎(1898−1962)の別荘だったそうです。大河内傳次郎って、確か俳優だったよなぁぐらいの知識しかなく、庭園の中にある記念館ではじめて「丹下左膳」で有名な人だと知りました。そう言われれば、聞いたことがあります。生きていれば110歳、明治生まれの人ですから、ここを訪れる人もリアルタイムで知っている人は少ないと思いますが、みんな名前ぐらいは聞いたことがあるという感じで、すごっく有名な人だったんですね。
 
この庭園は、1931(昭和9)年、大河内傳次郎34歳のときから、自身で設計して造営を始めたそうです。映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年をかけて作り上げたものといいますが、個人でこんなすごい庭園を作ってしまうなんて、すご過ぎる! 当時の映画俳優って、きっと今よりすごいステータスだったんでしょうねぇ。
 
場所は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面。約2万平方メートルの敷地があるそうです。回遊式庭園というのだそうですが、庭園の中心となる大乗閣という建物のあたりからは、背景に嵐山、遠くに比叡山、大文字、東山三十六峰などを眺めることができ、まさに嵯峨野を一望。建築はまったくわかりませんが、大乗閣は、寝殿造、書院造、数寄屋造など日本の住宅の伝統的様式を合わせて取り入れたものだそうです。
 
庭園は高低があり、いろいろな表情を見せていて、見事なものです。足元の踏み石に気をとられ、下を向いていた顔を上げると、そこに絶景が広がっていたり、植え込みを曲がるとまた違った風景に出会えたり。来てよかった〜、ほんとに。入園料にはお茶席券がついてくるので、庭園を廻った後に緋毛氈のお茶席で一服のお茶をいただきました。春には花の、秋には紅葉の絶景が見られるようですが、冬枯れの庭と山々を眺めながらの一服も捨てたものではありません。



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夜の京都、そぞろ歩き
桜の蕾