初冬の競演
南天が真っ赤な実をつけていました。難を転ずるという音から縁起のいい木といわれます。南天+福寿草で、おめでたい庭作り。江戸時代から庭木として楽しまれていたお宅が多いようです。赤という色が、冬の庭に暖かみを添えてくれる感じがします。咳止めに効くといいますが、胃腸の強壮にもいいそうです。って、まさか生で食べるわけではありませんよね。
道を歩いていたら、道路にはみ出んばかりに真っ赤なかわいい実をつけている南天を見つけました。きれいだなと思ってみると、その一軒置いたお隣に同じような実がみえます。でも、こちらはオレンジ色。向きも日当たりも同じような場所なのに、なぜ色が違うのでしょう。南天ですよね、これ? 植物は全然わからないんですけど、種類が違うのかな? どちらが好きかといえば、やっぱりカープですねぇ。オレンジはどうも好きになれない色で(笑)
桜が落葉して、常緑樹の植え込みの上に絨毯のように広がっている風景を発見。別になんていうこともないのですが、なんとなくおもしろくて写真に撮ってしまいました。ここは春になると見事な桜並木になるので、落ち葉はみんな桜なのでしょう。三人の作業員の方が、道に散った落ち葉を掃き集めていましたが、あまりの多さに植え込みの上は放置ということに決めたようです。
最近はテレビの前でゴロゴロしてることはあっても、外に散歩に出かけなくなってしまいました。散歩ではなくて通りかかった私の散歩道もすっかり晩秋の風情。水鳥たちが泳いでしますが、寒くないのでしょうか。私は朝、起きられなくなってきました。あ、夏でもそうか(^_^;)
けやき並木
京王線の府中駅を出ると、大国魂神社の前から府中一丁目の方面に見事なけやき並木があります。天然記念物だそうですが、車の通れる道路であるのが残念。この道路がなければ不便ではあるのですが。黄葉にはちょっと遅いという感じですが、暖かな陽射しを浴びて、きれいでした。
所用があってバスに乗ったのですが、府中の道路はどこも美しいなぁと思いました。ケヤキ並木から一つ道路を曲がると桜、これはもうすっかり葉を落として枝だけが青空に伸び、それなりに美しい。また角を曲がると今度はいちょう並木。そして、もう一つ曲がったところはプラタナス。それぞれが冬の準備を始めています。
<バスの車窓から>
よく通る道ではあるのですが、クルマだと見ているのは前のクルマのお尻だけということになりがち。信号も飛び出しも気にしなくていいバスの大きなフロントグラスを通して、しみじみ晩秋を楽しませてもらいました。
甲州街道に出るとそこもいちょうが見事に黄葉していました。もうちょっと上って調布まで来ると、また木の種類が違います。冬支度の街路樹も風情があります。ガソリンも高くなったし、たまにはお徒歩でフラフラもよろしゅうごさいますわ。
歓盛寺(甲斐霊場第50番の2)
開山は1194(建久5)年、いったんは源頼朝に嫌われて衰えたものの、1478(文明10)年に中興されたそうです。江戸時代には徳川の歴代将軍に保護され、とても栄えていたそうですが、いまはしんと静まり返って、お寺さんもお留守。境内のイチョウやモミジがさらさらと風に葉を落とす音だけが聞こえてきます。
最近、改修されたという鐘楼にかけられている梵鐘は、1722(享保7)年に作られたものだそうですが、いまでも毎日、時を告げているそうです。地域の人々は、いまでもお寺の鐘の音で生活のリズムをつくっているのかもしれませんね。
お墓所には、ものすごく古い感じのする墓石と、昨日建てたのかしらと思うような墓石が隣り合っています。「墓地分譲中」の大きな看板がありました。こんな静かなところで眠るのもいいかもしれませんよ。
広島菜
菜巻きのおにぎりって、広島菜ばかりではなくて、葉が大きいものならなんでもいいんだよと教わりましたが、いえいえ、私は広島菜! これでなくては、菜巻きおにぎりとは認めません(笑) そのままご飯に巻いて食べてもいいのですが、ここはやっぱりおにぎりにしたいと思い、帰るなりご飯を炊いて、おにぎりにしてみました。おかずなんかいらないって感じ。
広島県の知り合いからは、牡蠣とか果物とか、おいしいものを送ってもらうことが多いのですが、なかなか広島菜に気づいてくれる人がいません(笑) 日常的な食べ物だから、熱狂的なファンがいるのを知らないのかも。夏に広島に行ったときも実は探し回ったりして、真空の袋に入ったものを見つけて買ってきました。でも、やっぱりちょっと違うんですよね。
広島といえば、尾道のラーメンを壇一雄の本を片手に探して食べにいったこともありました。小さなお店だったけど、まだあるのかなぁ。昔のことなので、名前も忘れてしまったけど、また尾道に行く機会があったら、古い本を取り出して、調べて行きそうな気がします。なんとも食い意地の張ってる……。太りそう……。
永源寺(甲斐霊場第50番の1)
甲斐霊場50番目の霊場は永源寺と勧盛院の二つになります。二つで一組? 同じ曹洞宗のお寺ですが、龍華院(第46番)の末寺であるという以外には共通点はさなそうなのですが。
永源寺は山門を改修工事中。このあたりは水害の多い地域で、永源寺も何度か水害にあって、いまの本堂は1702(元禄15)年に再建されたものだそうです。
御朱印をお願いすると、本堂を開けてくださいました。御朱印は住職さんが書いてくださり、一度、本堂に上げてから手渡してくださいました。こういうことって、ありそうで、はじめてでした。なんだかとてもありがたみがあります。
本堂には、ここにも江戸時代の駕籠がありました。このあたりは、お寺さんが使った駕籠などが当たり前に残されているのでしょうか。改築される前の茅葺屋根の本堂や経堂の写真などが展示してあり、昔の面影を偲ぶことができます。3月の第1日曜には観音祭りがあり、重要文化財に指定されている聖観世音菩薩がご開帳されるそうです。
かつて、甲斐にただ一つの普化宗という禅宗の寺院、明暗寺というのがあったそうです。この宗派は虚無僧の寺。時代劇でお馴染みの笠をかぶって尺八を吹いているイメージですね。この普化宗が明治初期に廃宗となったため、明暗寺から永源寺へ、市の文化財に指定されているご本尊の普化禅師像などが移されたそうです。毎年、4月29日に「レンゲ祭り」が開かれ、尺八愛好家による虚無僧行列があるとか。見てみたいですね!