聖応寺(甲斐霊場第44番)
入り口の小さな木橋の下には清流がありました。楓橋と呼ばれるこの反り橋を渡って三門まで、長い参道が続いています。両側に杉の木立が続くいて、荘厳な雰囲気が漂っています。参道の先に現われたのは古めかしい三門。堂々として、威厳がありました。その奥にあるのが本堂かと思ったら、仏殿なのだそうです。
1395(応永2)年、武田家に従う豪族だった黒坂信光によって寄進されたという聖応寺は、広済寺とともに向嶽寺派の二大寺として栄えたそうです。20もの子院があり、多くの僧たちが修行していたといいますが、1779(安永8)年にほとんどの建物を大火で焼失したのだそうです。
600年の歴史は土の中に埋もれてしまっていますが、石垣をはじめ、お庭の手入れがよく、まるで庭園のようです。仏殿の横には本堂を兼ねた庫裏があり、この建物はなかなか趣があります。が、お留守みたい。
仏殿の裏で植木仕事をしていらっしゃる方がいたので、「お寺さんはお留守でしょうか?」と伺ったら、なんとこの方が住職でした。広くて美しいお庭を手入れするのは大変なことのようで、長靴に軍手で汗を流していらっしゃったのでした。すみません、お邪魔して。「御朱印を……」というと、仕事の手を休めて書いてくださいました。
そして、「こっちへ来てごらんなさい」といって案内してくださった場所は、甲府の街を一望できるまるで展望台のようなところ。ここから眺める夜景は素晴らしいものだそうです。「まあ、夜になってお墓参りする人もいないので、あまり見た人はいないんですけどね」と。確かに。山が真っ赤に染まる朝焼けも大変美しく、自慢の光景だそうです。住んでいる方にしか味わえない感動かもしれませんね。
夜中のお墓参りはちょっとナンですが、早起きの朝焼けは……、いやいや早起きがゴキブリの次に苦手な私にはちょっと無理かなぁ。
小網神社「どぶろく祭」
名前にひかれて、小網神社のお祭りに行ってきました。どんなお祭だろうと思ったら、お参りした人に巫女さんが「どぶろく」をふるまってくれるというものでした。次の年の豊穣を祈願するために収穫された米と一緒に「どぶろく」を作って神に供える風習をもつ神社は小網神社ばかりではなく、全国にはいくつか例があるようです。
そんなに大量にふるまわれるわけではなく、一口ですが、けっこうきついお酒のように感じました。朝から何も食べていない日の午後遅くで、単にすきっ腹にきくぅ〜というだけだったかも(笑)
この日は神楽も奉納されるのですが、その時間にはちょっと間に合いませんでした。でも、舞は見られなくても演奏だけは聴けました。ビルとビルの間に挟まれたような予想以上に小さな神社でしたが、建物は尾州桧造の神社建築といって、中央区には現存するものが少なく、区の文化財になっているそうです。5〜6人も入れば社と鳥居の間の境内は満員という感じですが、次々とお参りに来てどぶろくをいただく人で賑わっていました。
ここではススキの穂で作られた強運厄除のお守り「下町のみみずく」がいただけます。「どぶろく」付きというのもありました。人と待ち合わせたのがちょうど宝くじ売り場の前。待ち人がちょっと遅れたので、思わず宝くじを買ってしまいました。何年ぶりかなぁ。小網神社でパンパンしてきましたが、はたしてご利益はあるでしょうか?
難読地名
←証拠写真(笑)
帰って調べてみたのですが、山梨の難読地名には必ず登場してくるような名のようです。由来はわかりませんでした。「うば」は乳母とか姥とかの当て字なのかと思いましたが、そういった伝説が周囲にあるようでもなさそうです。真剣に追い求めたわけではないので、実際のところはわかりませんが(^_^;) どなたかご存知なら教えてほし〜!<安易ですね、この発言は(笑)
そして、その右左口を右に曲がるようにナビにいざなわれ、精進ブルーラインという道をひた走りました。途中に上九一色農産物直売所を発見。店頭に広げられている野菜にひかれてクルマを停めました。そういえば、上九一色だって、かなりな難解地名ですよね。しかし、いまでは全国の人が読めるでしょう(笑) 直売所の方に、「上九一色」と聞くと、反射的に「サティアン」というのを思い浮かべてしまいますねと言ったら「有名になっちゃってありがたいです」ですって。「へ?」、怒られるかと思った……。「地元の人が悪いことしたわけじゃないし、みんながこの土地を知ってくれるなら、なんだっていいんですよ」と笑ってらっしゃいました。そんなものかも(笑) 大根とブロッコリーとねぎとたくわんを買いました。
ここの小さなパーキングから眺めた四方の山がとてもきれいでした。いつも地面ばかりみながら生活しているタイプで、あまり自然に親しむことがない私でも、ああ、山はいいなぁ、きれいだなぁ、こんな山里で暮らしたいなぁ、なんて思ってしまうような風景です。こんな景色に囲まれているのだから、「なんだっていいんですよ」という心持ちにもなりますよね。山に緑があり、紅葉している木々があり、青い空があるってだけのものですが、本当に日本に秋があってよかった!と思わせるような美しさでした。
こののどかで美しい山里を見せたかったのでしょうか。ナビに従ってさらに進むと、道を外れてどうしようもなく狭い道をウロウロさせられ、あげくに来た道を戻り始め、そして「右左口」に到着し、また左に曲がれと。さっき来たとき直進すればよかったんじゃん! という結末。その先に、確かに目的地はありました。しかも、すぐそこに(-_-;)
瑜伽寺(甲斐霊場第43番)
本堂の作りも変わっている……、というより、あれこれ付属品がなくてシンプルに昔のお寺そのものという感じなのかもしれません。ちょっと神楽殿かなにかを下から見上げているような。
この寺には封印された箱が伝えられていたそうです。開けてみると、中には渡金を施された泥の固まりが……。奈良時代に多く作られた、いわゆる「どろ仏」なのだそうです。すっかり崩れていて復元は不可能なのだそうですが、山梨県内では最古の仏像とのこと。奈良時代の塑像の分布はこれまで奈良付近だけと言われていましたが、1992(平成4)年の発掘調査で瑜伽寺境内西側のからも奈良時代の遺跡が見つかったことから、この塑像がここで作られたことが想像でき、学術的には非常に貴重なものとなっているとのこと。やはり甲斐は、奈良時代から仏教文化の水準が高かったということの証。断片のうち24個は東京国立博物館に納められ、残りは瑜伽寺に保管されているそうです。復元できれば、像高は85センチ前後になるといわれます。
庫裏の庭では小坊主かせっせと落ち葉をはいていました?
定林寺(甲斐霊場第42番)
定林寺は、山門をくぐると左手に観音堂、五重塔、大きなカヤの木、日蓮袈裟かけの梅、祖師堂などがあり、右手の江戸時代に作られた心字池のほとりにはかつての鐘つき堂を使ったという茅葺きの東屋がある庭園になっています。静かで広々として、絶好の散歩コースになりそうです。
正面にある本堂は1998(平成10)年(1998)に全面改築されたとのことで、真新しく立派です。本堂の前に、これを回せばお経を読んだことになるという、お経の漢字なんか読めなーいという私のようなものにはありがたいマニ車が設置されていました。以前にテレビでブータン紀行をやっているのを見たときに、このマニ車がたくさん出てきました。ブータンでは縦に置かれていたと記憶していますが、こちらは横向き。内容は日蓮宗の基本的なお経だと同行の生臭坊主が教えてくれました。本物の住職さんはこちらもお留守でしした。
妊婦を守ってくれる日蓮ゆかりの双子塚があり、子どもがほしい人は石を持って帰るという子授けの石もあります。妊娠したら、この石は返さなければならないそうです。かつては徳川家の安産の祈願所であったそうで、大奥からのお礼の品も寺宝として残っているそうです。春には双子塚のご例祭で多くの子どもによる稚児行列が行われ、秋には小学生による舞が法のされるのだとか。子どもに縁の深いお寺なのでした。