ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/11/24  (土) 

広済寺(甲斐霊場第41番)

奈良原という地名を頼りに広済寺へ向かいました。道沿いに小さな休憩所のようなをものがあり、初老の男性が日向ぼっこをしていたので道を聞きました。お寺はすぐそこと言って教えてくれました。「赤い屋根が目印だから、それに向かって行けばいい」。狭い道を通り、赤屋根を目指していざ出陣! 到着しましたが、赤い屋根は庫裏で、しかも裏へ出てしまいました。道は行き止まり。また、バックですか〜(-_-;) とりあえず、クルマを降りて裏からお参りさせていただくことに。
 
鐘楼の周りに南国の木? なんだか不思議な雰囲気の漂うお寺です。どういう理由かうかがってみたかったのですが、お寺さんはお留守でした。お墓所で石屋さんが作業をしているので、遠くへ行かれたわけではなさそうですが……。
  
広済寺は、1409(応永16)年(1409)に武田信春が、向嶽寺の流れをくむ禅寺として中興したそうです。それ以前は天台宗の寺院だったといわれますが、わかっているだけでも600年近い歴史があるんですね。かつては向嶽寺派二大寺の一つとして栄えたそうです。明治初期の台風で本堂と山門が倒壊、本堂は1975(昭和50)年、山門は1979(昭和54)年に再建されたものですが、鐘楼だけは江戸末期のものが残されています。
 
お参りしてクルマに戻り、ちょっと広い道までバック、来た道とは逆のほうへ下りました。すると山門が……。なーんだ、こっちが正面ではありませんか! 山門の脇には大きなヒイラギがあたりを睥睨しています。市の文化財だそうですが、花をつけていました。花が咲いているヒイラギというのははじめて。クリスマスリースになるものとは別のものなのでしょうか? 樹木全体がぼーっと白くかすんでいるような風情で、辺りにはいい香りが漂っています。



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2007/11/23  (金) 勤労感謝の日

二の酉「鷲神社」

「お酉様、行かねぇ?」と、NU-FACE社長の青年実業家に誘われ(笑)、行こうかなぁ、寒いしなぁと半ば行く気を失っていたにもかかわらず、夕方になって鷲神社へ行ってきました。さすが、酉の市の発祥の地といわれる鷲神社! 大盛況! といっても、はじめて行ったので、例年と比べてどうなのかはわかりませんが。
 
22日と23日の境の午前0時に、関係者打ち揃って境内で手締めが行われると聞いていたので、本当は昨日の夜中に行ってみたいなという気分だったのですが、ぐずぐずしているうちに出かける気力を失くし、ついでに今日も挫折しそうになっていたのを、お誘いいただいたのでしゃきっと出かける気になりました。
 
信号待ちをしている車窓から、参拝客の行列が見え、「ちょっと、ちょっと〜」、クルマを停める場所はあるの? そこは、さすがに路地裏に強いドライバーの運転だったもので、ほどなく空のあるコインパーキングを発見。鷲神社までちょっとだけ歩いて行きました。
  
行列の最後尾についてから、賽銭箱に手が届くところまで行くのに小一時間は並んでいたでしょうね。神社の入り口で神主さんのお祓いを受けるまで約30分、境内に足を踏み入れてから約30分という感じです。並んでいると、ときおり賑やかな手締めが聞こえてきます。
 入り口でお祓いしてくれます
参道で再び石原都知事ご予約の熊手を発見。確か、一の酉のときもご予約だったような。二つも買うのかな? 三人の息子さんも一緒に石原家がずらり。さぞや天下のお宝をざっくざっくとお集めになられる一家なのでしょう(^_^;)
 
参拝場所が近づいてくると、押すな押すな状態になります。迷子になっちゃいけないからと、連れのコートの端を握り締め、まるで幼児のようなありさまですね(笑) それでも押されて、身体の軸を中心に一回転しました。我ながら器用なもんだわ。
 
花園神社では熊手が売られているの一角だけでしたが、こちらはどこへ行っても大小さまざまな熊手が飾られています。いっこうに景気のよくなる気配がないので、みなさん、商売繁盛のお願いにも力が入るのでしょう。参道の途中で、テレビの製作会社の方々が大きな熊手を求めているのに出会いました。「視聴率アップ、アップ」と叫びながら五本締めしてました。しかし、あまりアップ、アップするのは……(笑)
 
境内から外へ出ると、たこ焼きやお好み焼き、綿菓子などの露店がずらり。これもかなり広範囲です。来年の暦やお守りなどの店もついているのがお酉様らしい風景かもしれません。お好み焼を食べるぞ〜! と意気込んでいたのですが、あまりの混雑に挫折。近くの喫茶店でコーヒーを飲んで帰ってきました。でも、おもしろかったです。 お月様もきれいでした。

 

交通整理のおまわりさんもお疲れさまでございます。

  

縁日ガイド」でも写真を紹介しています。



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2007/11/22  (木) 

福光園寺(甲斐霊場第40番)

果物畑の中の道をゆるゆると登っていくと、大野山福光園寺に到着します。すんなり到達したところには、何かと落とし穴があるもので、シーンと静まり返り、お留守でした(-_-;) しかも山門は修復工事中。足場が組まれていて、近づいてみることもままなりません。まあ、こういうこともあるでしょう。

趣のある本堂に、なんとなく「舞台」という言葉を思い起こしてしまいました。回り廊下のようなものがあるからでしょうか1157(保元2)年に中興ということですから、起源はもっと古いお寺なのですね。境内には見事なシダレザクラが枝を広げています。早春にはさぞや美しい風景になるのではないかと思われます。
  
本堂の右側には吉祥天などが納められた宝物殿があり、奥には香王観音立像の観音堂が建っています。香王観音は行基の作と伝えられる7〜8世紀のもの。運慶の弟子の蓮慶の作という吉祥天は13世紀のものだそうです。これまでに5回も火災に見舞われたそうで、焼失したものも多いそうですが、本堂や鐘楼門などは県の文化財に指定されています。
  
これまでも山裾にひっそりとたたずんでいるという感じのお寺はたくさんありましたが、なんだかここは、人里離れているという風情があります。実際には、そんなに辺鄙なところではないのですが、近くに人家がなく、まわりの果物畑が収穫を終え、しんと静まり返っているからかもしれませんね。



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2007/11/21  (水) 

遠妙寺(甲斐霊場第39番)

遠妙寺に行くにもちょっと苦労をしました。この辺、というあたりでタクシーの営業所をみつけ、ラッキー! タクシーの運転手さんなら知らないわけはありません。どーんと営業所の前にクルマを停めて、休憩中の運転手さんに襲いかかりました(笑)。やっぱり、近隣の名所、観光地などはよくご存知で、丁寧に信号の数まで教えてくれ、地図を描いていただきました。これで、ばっちり。
 
近くまで行くと、道路からはちょっと見えにくいのですが、大きな山門がありました。これをくぐると正面に仁王門があり、本堂と続いていきます。仁王門は18世紀に再建されたものだそうですが、中の木製の仁王像は左右とも像高180センチぐらいあり、威風堂々としています。総じて、日蓮宗のお寺は門が立派なのだそうです。何か、教えと関係があるのでしょうか? そのうち調べてみましょう……、って、「そのうち」というのは、まずめったに来ないんですよね(^_^;)
  
大黒さんが御朱印を書いてくださったのですが、御朱印帳をみて、「まあ、判だけなのが多いのね。残念ね……」と悲しそうにおっしゃいました。私も残念です(笑)
 
境内には石和温泉七福神の大黒様がいらっしゃいます。大きい! 奥には鵜飼翁の供養塔、鵜飼勘作のお墓があります。歌舞伎や能などは江戸時代に庶民の娯楽として発展したものですが、その代表的な演目に「日蓮もの」と呼ばれるものがあるそうです。そう、あの日蓮宗の日蓮上人が主人公です。全国各地を行脚しながら布教した日蓮上人の法難や数々の奇跡、伝説などを脚色したものです。なかでも「鵜飼漁翁の亡霊済度」の物語は人気が高かったそうで、世阿弥による謡曲「鵜飼」が有名です。
  
この物語は、日蓮上人が石和川(笛吹川)に訪れ、鵜飼いの翁の亡霊に出会ったというものです。日蓮は三日三夜にわたり、法華経の経文6万9,384字を河原の石一つに墨で一文字ずつ書いて川底に沈め、この川施餓鬼によって鵜飼翁が成仏することができたというストーリーです。 
 
日蓮上人はこの川のほとりに塚をつくり、その後、日養が鵜飼堂を建て、さらに日梵が堂宇を建立しました。これが石和山鵜飼寺、現在の遠妙寺なのだそうです。川施餓鬼の根本道場であり、毎年9月16日には施餓鬼法要が行われます。また「鵜飼」にちなんでお寺と町の開催で薪能も行われるそうです。



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2007/11/20  (火) 

慈眼寺(甲斐霊場第38番)

慈眼寺は矢印が曲がっていたために一回りはしたものの、比較的わかりやすいところにありました。周りは桃や葡萄の畑で大きな建物がないので、こんもりとした木のかたまりのあたりがお寺かなと見当がつけやすかったからかもしれません。
 
入り口には古めかしい鐘楼門が立っています。小さめですが、さまざまな装飾が施されています。鐘楼門ぐらいで驚いてはいけないという感じで、奥の本堂はどっしりとして威厳があり、右手の庫裏は茅葺屋根です。庫裏と本堂の一部は1997(平成9)年に大修理を行ったそうで、庫裏の前にはつるべ式の井戸も復元されていました。実用としては使われていないもようですが。
 
鐘楼門、本堂、庫裏とも17世紀半ば、江戸初期の建築物で、いずれも入母屋造りと呼ばれる建築技法です。国指定の重要文化財に指定されているとのことでした。 慈眼寺の発祥はよくわかっていないそうですが、15世紀後半の文明年間に中興され、武田の祈願所として発展したものの、16世紀後半に織田勢に焼かれ、17世紀半ばになっていまの建物が建てられたそうです。
 
庭には四季折々の花が植えられ、東屋で休憩もできるので、葡萄狩りや桃の収穫に訪れた観光客もときおり訪れているとのこと。いまは桃も葡萄もありませんが、境内には大きな柚子が実をつけていました。ほんのりした香りに誘われて、御朱印をいただいた大黒さんに、図々しくも「分けていただけませんか?」とお願いしてみました。
 
「ご近所の方が楽しみにしていらっしゃるので、たくさんはだめですが……」」とおっしゃって、それでも五つももいでくださいました。代金を支払いと申し出たのですが、受け取っていただけず、新鮮な柚子をいただきっぱなし。ありがとうございます。柚子の隣には柿がたわわに実をつけていて、これは干し柿になるものだそうです。そういえば、お庭にむいた柿の皮も積まれていました。甲州はどんな季節もフルーツの里なんですね。



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国分寺(甲斐霊場第37番)
聖応寺(甲斐霊場第44番)