西方寺(甲斐霊場第28番)
山門はがっしりとした武家門で、このような造りは寺院には珍しいものだといいます。境内は広々としているのですが、がっしりとした門にはかっちりと車止がしてあり、入れないか? とりあえず、交通量も少ないしと門に横付けしてしまいました。
境内をお掃除していた人が飛んできて、誰か来ると困るから中へ入れと。入れるのかな〜と恐る恐る車を進めたら、ぎりぎりで通過しました。甲斐は相変わらず教習所状態です。
甲斐……といっても、20番台の霊場は、富士山の近くに散らばっている感じで、あまり「甲州」という感じがしません。甲州へ行けばどこでもお目にかかれる「信玄のなんとか〜」というのもまったく見かけることがなく、大河ドラマ風林火山どこ吹く風という感じ。そういえば、どこのお寺にも「風林火山」の幟ははためいていないようです。
富士山麓はすっかり秋の気配で、静かな境内にも落ち葉が舞っています。車を誘導してくれた人は、再び箒を手に取ると、これを黙々と掃いています。門を入るとすぐ左側に十一面観音を祀った観音堂があります。郡内三十三観音の8番札所だそうですが、残念ながら十一面観音は秘仏で拝観はできません。
屋根が鮮やかな庫裏を訪ね、御朱印をいただきました。「どちらから?」と聞かれ、「東京です」と答えたら、「遠いところからご苦労さま」と御朱印と一緒にクッキーとキャンディをいただきました。
菊まつり3(湯島天神)
上野までいったので、湯島天神へ行ってみました。湯島天神はもとより、実は不忍池や弁天島のほうにも行ったことがなかったのです。湯島天神の菊まつりは今年で第29回だそうですが、ここはなかなか盛大でした。菊もしっかり大輪の花を咲かせています。約2,000株が飾られているそうで、菊人形はNHKの大河ドラマ「風林火山」をテーマに5体。なんか、コミカルな感じがしますけどねぇ(笑)
なんと呼ぶのかわかりませんが、留め金のようなもので花を固定してまるく仕上げたものは、花火みたいできれいでした。色合いによってはUFOのような、でっかいサボテンのような。
「湯島」といえば、「白梅」とセットのように連想しますが、本当のところ泉鏡花を呼んだことはありません(-_-;) 「婦系図」の芝居なども観たこともないし。なのに、泉鏡花の「筆塚」をしっかり見てきました(笑) 1942(昭和17)年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七などによって建てられたそうです。
湯島天満宮は 5世紀後半の創建と伝えられ、はじめは手力雄命を祀った社だったそうです。その後、14世紀に 菅原道真を祀り、すっかり学問の神様として定着しました。1885(明治18)年に改築された社殿の老朽化が進んだため、1995(平成7)年に総檜造りで作り直されたそうです。
興味深かったのは「奇縁永人石」です。この石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されています。迷子がでたとき、子どもの名前を書いた紙を右側に貼って探し、迷子をみつけた場合は、その子の特徴を書いた紙貼って知らせた迷子探しの石標だったそうです。
江戸は広くて人口も多かったので、このような迷子探しの拠点が何ヵ所かあったらしいですね。迷子がすごく多く、こういうものを作ってもなかなか見つからなかったとか。文学とゆかりの深い湯島天神も、学問の神様に参拝する多くの人で賑わい、迷子の多発地帯だったことがしのばれます。
大徳川展
日曜日は国立博物館へ「大徳川展」を見に行ってきました。いやはや、日曜日になんか行くもんじゃありませんね、人を見にいくような……(-_-;) それでも早めの時間に待ち合わせをしたのが正解で(実は、私は遅刻しましたがm(_ _)m)、人の肩越し、頭越しながら、なんとか徳川一族の豪奢な暮らしを垣間見ることができました。
で、博物館を出てきて、びっくり。なんと入場制限になっていて、かなりの行列ができていました。徳川ってそんなに人気あったの?(笑)
やはり、250年以上に渡ってずっとトップを張ってきた徳川一家の暮らしは、贅沢でなものですね。とくに女性の衣装や手回り品は豪華で手の込んだものが数多く見られました。そのあとで、本館のほうで似たような時代の内掛けや小袖、文箱などを見ましたが、桁違いの豪華さです。優雅だったのだろうなぁ、その暮らしぶりがしのばれます。まあ、つらいことも多かったかもしれませんが。
本館でもいろいろな時代の展示物が見られます。
江戸時代はもちろん身分制度にきつく縛れていたし、格差社会であったことは間違いありません。が、やはり、戦乱がなく、こういった支配階級が充実しているときでないと「文化」というものは育たないのかもしれませんねぇ。と、同行のモモタロウと意見が一致したところです。
今日は、中庭が開放されていたので、散歩してきました。ここでは、お茶会が催されていて、いろいろあるお茶室は関係者以外立ち入り禁止。中を見学することができませんでした。徳川の暮らしを垣間見たばかりだったので、お茶会に来ている人はみんな上流階級に見えました(-_-;)
広場にある大銀杏はだいぶ色づき、見ごろを迎えつつあります。確か、大徳川展は12月2日までだったような。お出でになるなら、ぜひ平日に(笑)
菊まつり2(浅草寺)
東京時代まつりは浅草寺境内から始まって、周辺をぐるっとパレードしてきます。私が遭遇したのは雷門の前。行列が行き過ぎたあとは、浅草寺の菊まつりに行ってみました。菊は好きな花じゃないって言ってるのに(笑)
境内はものすごく混んでいて、後ろを歩いていた年配の男性が「正月みたいだなぁ」とおっしゃっておいででしたが、あま〜い! お正月はこんなもんじゃありませんね。一歩も前へ進めなかったりします。しかし、まあ、混んではいました。七五三が近いせいでしょうか、日本人形の露店も見つけました。かわいいお人形はやはり人目を引くようで、多くの人が立ち止まります。
しかし、菊の展示場はがら〜ん。そう、やっぱりちょっと菊の季節にははやいのでしょうか、あまり咲いている花がありません。やる気あるのか、菊祭り? という感じです。高幡不動で、あまり展示数も多くなく……といったのは、ごめんなさい、こっちのほうが少なかったです。案内所に「ふくまる旅館」が出ていて、西田敏行さんの笑顔が出迎えてくれたのが救い?(笑)
仲見世は渋滞中って感じでしたが、西参道のほうへいくと歩いている人は少なく、反物屋さんやお祭り用品のお店などがならんでいて、ゆっくり見て歩きました。和服を着るチャンスはまったくない生活なので、見るだけですけど。
勢いで六区のほうへ。昔はいかがわし歓楽街だったりしたこともあるらしいですけど、いまや「ロック・ブロードウェイ」とか。歩いていくと演芸場がありました。これは「菊次郎とさき」の世界でしょうか。けっこう人力車が行き交っていて、若い女性に人気があるようです。いろんな国の言葉が飛び交っていて、外国人観光客の数がとても多く、昨今の浅草は活気があります。
東京時代まつり
今日は文化の日。全国でさまざまなイベントが催されていたようです。私も箱根の大名行列を見に行こうか、浅草の時代まつりを見に行こうか……、まあ、起きた時間によって、と思っていたら、当然、時代まつりのほうになりますね。箱根まで2時間以上かかります(^_^;)
まずは観音様が現われた頃の時代風俗からスタート。
浅草に着いたのだって、午後も遅めの時刻でしたが、パレードなので追いかければよし。ちょうど、浅草駅を降りたら、行列は雷門にさしかかっていました。ラッキー。目の前です。が、すごい人ごみで、かつらのちょん髷ぐらいしか見えません。移動、移動。放送席らしきところのそばで人垣が割れているところを発見、なんとかもぐりこみました。
東京時代まつりは、いろいろな時代の、いろいろな人物に扮した人がパレードをします。隅田川から観音様が現われ、浅草寺に祀られた故事のから、平安、鎌倉時代を経て、大田道灌の江戸城築城からはじまる江戸時代がメイン。幕末から東京に変わったところまでを表現しています。
まずは江戸城造り
演じる人も堂々とした衣裳、化粧、鬘姿で、舞台顔負けの歴史絵巻です。といって、まあ、それだけのもんなんですけど(笑) ときどき立ち止まって繰り広げられる子どもたちの演技や、周辺の会社や商店の方々による踊りや素人芝居?もご愛嬌です。
赤備えだったんですね
そして大奥のきれい所
これは写真を見ていただくしか、ないかな。そのわりに手ぶれの連続で……、だって、人が押すんだもん(笑)
三代将軍家光の御成り〜
大名行列の先導は奴さん
元禄花見踊りご一行様
そして赤穂浪士討ち入り
大岡越前守を先頭に江戸の華、火消し衆が梯子乗りを披露
七福神↑と子どもが演じる歌舞伎の一座↓
一心太助や水戸黄門、色町の芸妓さんたちも
そして黒船がやってきて、迎え撃つは浦賀奉行の面々
新選組が立ち回りを演じても、時代は西郷どん、大久保利通が大手を振って通るのだ。しかし、ここで、なんで坂本竜馬?
人力車に乗った樋口一葉に続いて、飴売りや唐辛子売り、お面売りなどのひょうきんな口上でパレードの〆。ああ、明治は遠くなりにけり〜。