ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/17  (月) 敬老の日

芝大神宮「だらだら祭り」

16日は、芝大神宮の例大祭にも行ってきました。お祭りのはしご(^_^;) とはいっても赤坂氷川神社と芝大神宮は地下鉄で駅は3つ。歩けと言われれば、歩けない距離でもないのです。
 
1005年創設の芝大神宮は、都内に現存する中で最も古い神社といわれ、2005年に鎮座1000年記念祭を行っています。例大祭は、「だらだら祭り」とも称されていますが、古くから全国からの参拝者を集めるため、長期間お祭を開催せざるを得なかったとか。気の短い江戸っ子が、そんなに長くやってるなんて「だらだら祭りだ!」と命名したとか、しないとか。お祭りの期間は11日間ですが、別にだら気を抜いてだらやっているわけではなく、毎日、いろいろな行事が開催されています。
  
また、別名「生姜祭り」とも呼ばれ、期間中は神前に甘酒と生姜が供えられます。昔はこの辺りに生姜畑があり、近隣の農家が祭で生姜を売ったことから名物となったということですが、いまやこの辺りで畑なんか探すだけ無駄ですね。境内には生姜を商う店も出ていますが、先日、永福稲荷神社で山積みの生姜をみたばかりなので、ここのは「どこにあるの?」「あっ、これ?」というぐらい。いまでは申し訳程度に売られているという感じです。 
  
隔年で行われる町内神輿連合渡御は、こちらも今年が開催年。16基のお神輿が神社に入る片側2車線道路を貸切にして宮入りします。かつては第1京浜も貸切、通行止めとなったと交番のおまわりさんが言っていましたが、今年は信号を守って横断。貸切になったのは1車線分だけだったようです。
 
宮元の次に続く「芝大門一 北親会」という神輿は、「親子三代、町内の方だけで担ぐ神輿です」とマイクで説明されていました。ということは、他の神輿は外様がいっぱい担いでるってことですね。いまは、どこもそういうことになっているらしいですが。事前に申し込めば、誰でも?担がせてくれるようです。ああ、私も担いでみたいなぁ(^_^;) DNAの中にほんの毛筋ほど残っている江戸っ子の血が騒ぐ?(笑)
 
神社は大きな階段の上にあって、宮入りする神輿を下で宮司さんたちが出迎えます。ちょろちょろと階段を登ってみたのですが、上のほうから見ると、参道を何基も連なって入ってくる神輿にすごく迫力がありました。

 

縁日ガイド」でも写真を紹介しています。



縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!
縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!

上に戻る




2007/09/16  (日) 

赤坂氷川神社「神幸祭」

赤坂氷川神社のお祭りでは、本祭と陰祭が1年おき。今年は本祭りで、今日は神輿連合渡御が行われました。15基の神輿のほか、山車や太鼓が氏子町内を賑やかに練り歩きます。
 
御祭神は素盞鳴尊、奇稲田姫命、大己貴命で、創建は951(天歴5)年とか。ものすごく歴史があるんですね。1066(治歴2)年に大旱魃が発生し、この神社に雨乞いをしたら霊験あらたか、すぐ雨が降ったというわけで、人々は何かにつけてこの神社のお祭りをしたとか。江戸時代には8代将軍吉宗の信仰が厚く、以来、14代家茂まで歴代の将軍に大切にされてきた神社だそうです。
 
「氷川神社」とマピオンなんかで検索してみると、だぁ〜っとリストアップされますよね。全国で「氷川」と名のつく神社は261社あるそうです。東京都だけで68社もあり、いわゆる江戸ご府内だけで7つの有名な氷川神社があります。本社は埼玉県の大宮に鎮座する武蔵国一ノ宮の氷川神社で、すべての氷川神社はここから分かれてできたものです。
  
氏子さんは赤坂、六本木の町内ですが、赤坂、六本木なんていうと、ニューヨーク、パリというのと同じような感じで、「土地の氏子さんなんか、いるんですかぁ〜?」という感じでしたが、みなさん、町内ごとにおそろいの法被、鉢巻姿で勇壮。普段は取り澄ました街も、このときばかりは先祖返りしているような(笑)
 
掛け声は「わっしょい」ではないみたいで。それぞれ町内ごとに好きなこと言ってる(笑)って感じでした。「そいや、そいや」もあり、たんに「おいっ、おいっ」というのも。江戸前のお神輿には掛け声に決まりごとはないんですかね?
  
私は神社から出てくる神輿を柱の陰から定点観測状態で見ていましたが、赤坂っていうくらいで、ゆるやかですが、そこらへん坂道ばかり。山車などは、引くというより、転がり落ちそうになるのを必死で抑えてるって感じで、こっちのほうがパワーが必要かも。しかも逆方向は登りですもんね、こちらは引くのが大変かも。
 提灯に欧文!(笑)

 
背の高い山車の横には、電線を持ち上げる係りの人がついて歩いていて、こんなところはかえって都会のお祭の風情?(笑) カメラを構えていたら、法被のおじさんに「いまだ!」と声をかけられ、思わずシャッターを押してしまいましたがな。振り向いて顔を見合わせ、ふたりで大笑い。最近はデジカメなもんで、後ろからでも狙ってる画面が見えたりするんですよね。赤坂にはおちゃめなおじさんもいます(^_^;)

 スピード出過ぎちゃって

 

縁日ガイド」でも写真をご紹介しています。



縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!
縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!

上に戻る




2007/09/15  (土) 

慈雲寺(甲斐霊場第10番)

天竜山慈雲寺は、臨済宗のお寺で、14世紀、南北朝時代に京都の天龍寺を開山した僧として有名な夢窓疎石によって開かれたと伝えられています。 道路から離れた田園の中にあり、静かで落ち着いた雰囲気のお寺です。
 
甲州市の天然記念物に指定されているイトザクラの巨樹があり、きっと春には美しい花を楽しませてくれるのでしょう。このイトザクラは、ウバヒガンの変種というもので、樹齢は300年ぐらい、枝が四方に垂れ、糸が垂れているような形に見えることからイトザクラの名があるようです。淡紅色の可憐な花を咲かせるとのこと、春になったらもう一度、この桜を見に来てみたいものです。いまの季節はお庭も一面の緑という感じで花は少ないですが、よく手入れされていながら、あまり人工的な感じがせず、くつろげるお庭です。
  
ここには樋口一葉の文学碑が建っています。幸田露伴が碑文を書き、賛助者として坪内逍遙、与謝野寛、与謝野晶子、森鴎外、田山花袋、佐藤春夫などそうそうたるメンバーが名を連ねています。しかし、なぜ、ここに樋口一葉? 
 
一葉は1872(明治5)年3月25日東京生まれ、1896(明治29)年11月23日没。24歳という短い生涯だったんですね。この24年間に何か慈雲寺との関係が生まれていたのかと思ったら、関係があるのは一葉のご両親だったのです。
 
江戸末期に当時の住職が寺小屋を始め、のちに樋口一葉の両親がここで知り合い、ここで学んだのだそうです。ここは樋口家の菩提寺でもあったようです。この文学碑は、1916(大正5)年に一葉の妹、邦子が先祖の墓参に訪れたときに、世話をしてくれた人と「一葉の碑をこの地に建立し、後世まで遺したい」という相談がまとまり、大正11年10月に建てられたと説明されていました。
 
2004年から樋口一葉が5000円札の肖像になったことを記念して、お寺の入り口には新しい一葉の石像も立てられています。観光資源にしたいというお考えがあるのでしょうが、桜の季節以外はあまり人も訪れないような、静かな風情のままいてほしいような。初めて来たくせに勝手なことを言うなって感じですけど(^_^;)



縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!
縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!

上に戻る




2007/09/14  (金) 

牛嶋神社「神幸祭」

牛嶋神社の大祭は5年に1度しか行われないので、見逃すわけにはいかないとばかり出かけていきました。13日は式典、14日と15日は牛車を中心とした祭礼巡行が行われ、16日は町内の神輿が勢ぞろいする連合渡御が行われます。神輿渡御も見たいけれど、牛車というのは珍しいものなので、今日の神幸祭に行ってきました。今年はとくに御鎮座1150年に当たる記念祭だそうです。
 
黒牛が引く鳳輦を中央に、高張、鳶金棒などが先導、太鼓を乗せた台車、衣冠束帯の正装した神主さんたち、かわいい稚児さんたちも一緒に街を練り歩いていました。鳳輦—ほうれん—というのは、天子や高僧などの乗り物とされる車で、神輿のように威勢よく担ぐのではなく、静かに運ばれたり、車輪をつけて黒い牛が引くのが一般的で、中国から伝わった乗り物です。鳳輦の起源は神輿より古いそうです。
 
神輿は16日の渡御に備えて、各町内の御座所に鎮座しています。牛車は、その一つ一つを回り、神輿の前で宮司の祝詞?が唱えられることになっているようです。神輿の前の道には砂が敷かれていて、その上に鳳輦を停車させて、何やら儀式が行われるのですが、部外者には何が行われているのかは見当がつきません。みなさん、神妙に頭を下げて宮司さんの言葉を聴いていらっしゃるので「何してるんですか〜?」なんて、尋ねられませんでした(^_^;) ときどき、牛が「もぉ〜」なんて鳴くのが、なんとなくのどかでした。
 
16日に連合渡御される神輿は、区内それぞれの町にあり、全部で48基とか。3カ所に集合し、順次宮入りするそうです。都内には3基しかない八棟神輿も出るとのことで、これも見てみたいものですが。
 
牛嶋神社は860(貞観2)年の建立で、墨田区で最も古い神社になります。本所の総鎮守で、境内にある「なで牛」は、自分の悪い部分をなでて、牛の同じ部分をなでると病が治ると言われます。祭礼巡行を追いかける前に頭をなでてきましたが、ご利益はありますかね? ちょうど境内の掃除をしていた神主さんに「いま、ご祭礼はどの辺にいるでしょうか?」とうかがったら、祭礼順路を書いた扇子をいただきました。いただきましたって、有料です(-_-;) でも、順路と予定時間を丁寧に説明してくださったので、すぐにご祭礼の巡行に出会うことができたので、それはそれで(笑) 

  

縁日ガイド」にも写真を紹介しています。



縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!
縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!

上に戻る




2007/09/13  (木) 

恵林寺(甲斐霊場第9番)

乾徳山恵林寺、「えりんじ」と読みます。甲斐武田氏の菩提寺として武田信玄の葬儀が行われた臨済宗の寺院です。14世紀初頭、鎌倉時代に開山され、一時は荒廃したものの、1564(永禄7)年に武田晴信(信玄)によって復興されたお寺だそうです。
 
信玄が没したのは1576(天正4)年、その6年後の天正10年には織田軍によって焼き討ちにあったということで、波乱万丈な歴史を経てきた寺院のようです。このとき、快川和尚が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と言って焼死したことが有名です。こんな故事は知らなくても「心頭を滅却すれば……」というのは、誰でもどこかで聞いたことのある言葉ですよね。
宝物殿もあります   

 
のちに徳川家康によって再興され、5代将軍綱吉時代に甲斐の領主となった柳沢吉保が大規模な修復をはかったとのこと。信玄の墓所がある本堂裏の西側には、柳沢吉保夫妻の墓もあります。
 
さすがに信玄の廟があるお寺らしく、でっかい!という印象です。本堂を拝観するためには拝観料300円なり。入ってみようかしらと思っていたら、どーっと団体さんが……。大型観光バスが着いたようです。「越後交通」という旗をもったガイドさんが少なくとも4人はいたので、200人近い人々でしょうか。そっか、今年は風林火山ですからねぇ。あまりの人ごみに圧倒されて、中に入るのは見合わせました。また、ブーム?が去った後にでも機会はあるでしょう、と。
 
寺院も大きいですが、境内もお庭も立派なものです。これまで回ってきたお寺の中では群を抜いていました。南北に長い敷地の南端には「雑華世界」の偏額がかかる黒門、長い参道を200メートルぐらい進むと重要文化財の四脚門(赤門)、ここを入ると明るく広い庭園になっています。ここには茶店や売店などもあって、観光客があちこちのベンチに腰をかけくつろいでいます。この庭の北端には県指定文化財の三門、その先に開山堂、本堂、庫裏などが建っています。いや、本当に広い! ここより大きいのは身延山久遠寺ぐらいでしょうかね。
  
あまりの人の多さに行ってみなかったのですが、裏手にある庭園は1944(昭和19)年6月26日に国の名勝に指定されているそうです。上段が枯山水、下段が心字池を配した池泉回遊式で、「その規模の大きさと美しさは他に類を見ない」と言われます。この辺りの寺院をあと100近くうろうろしようという目論見なのですから、人の少なそうなときにまたゆっくり訪ねたいと思います。 
 
こんな大きなお寺で、訪れる人も多いのに、御朱印を僧侶が筆をとって一つ一つ手書きしてくださるのは、当たり前の風景かもしれませんが、ちょっと驚きました。小さなお寺でも印刷、あるいは複写したものに判だけ押して日付を書き込むというところが多いので。汗だくで御朱印を書いてくださっている僧侶の前には、御朱印帳が山のように積まれていました。団体さんより一歩だけ、先に御朱印帳を差し出したのは本当にラッキーでした(^_^;)



縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!
縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!

上に戻る




つまらない一日
谷保天満宮「大祭」