2007/08/10 (金)
東京弁
今日、向島から生きのいいオヤジさんが訪ねてきてくれました。これがまあ、普通の人は通訳なしじゃわからないのではないかっていうくらいバリバリの下町弁で(笑)
NHK基準というか、いわゆる標準語は、東京弁がベースになっているようですが、バリバリの東京方言ってのは、単語からして違います。私は父方が400年ぐらい前から御府内に住んでいたらしいので、家の言語文化としては東京弁。だから、なんとか聞き取れましたけどねぇ(^_^;) しかし、私が使っているのはもっと美しい日本語です(笑)
そう、我が家の言語文化は東京弁と思っていたのですが、先日、妹から「“とごる”って言っても誰にも通じないよ。笑われる」と言われました。「とごる」というのは、我が家ではモノが沈殿している状態を指します。つまり、「カルピスが下のほうにとごっているから、マドラー使って」というふうに。
で、通じないのはこれも東京方言だと思ったんですね。ところが。東京の人も誰もしらない。もしや? 調べてみたら、三重、伊勢、愛知方面の言葉だそうです。実は、母方が3代ぐらい前まで伊勢の人だったのでありました。
言語文化って、家庭内で親から子へ普通に、当たり前に引き継がれていくんだなぁと妙に感動してしまいました(笑) ひょっとしたら、私も知らずにもっと関西弁を使っているかもしれない。
最近は日本中どこへ行ってもテレビ言葉が主流で、若い人の口からお国言葉が消えていってるようですが、これもある意味、残念なところがありますね。
NHK基準というか、いわゆる標準語は、東京弁がベースになっているようですが、バリバリの東京方言ってのは、単語からして違います。私は父方が400年ぐらい前から御府内に住んでいたらしいので、家の言語文化としては東京弁。だから、なんとか聞き取れましたけどねぇ(^_^;) しかし、私が使っているのはもっと美しい日本語です(笑)
そう、我が家の言語文化は東京弁と思っていたのですが、先日、妹から「“とごる”って言っても誰にも通じないよ。笑われる」と言われました。「とごる」というのは、我が家ではモノが沈殿している状態を指します。つまり、「カルピスが下のほうにとごっているから、マドラー使って」というふうに。
で、通じないのはこれも東京方言だと思ったんですね。ところが。東京の人も誰もしらない。もしや? 調べてみたら、三重、伊勢、愛知方面の言葉だそうです。実は、母方が3代ぐらい前まで伊勢の人だったのでありました。
言語文化って、家庭内で親から子へ普通に、当たり前に引き継がれていくんだなぁと妙に感動してしまいました(笑) ひょっとしたら、私も知らずにもっと関西弁を使っているかもしれない。
最近は日本中どこへ行ってもテレビ言葉が主流で、若い人の口からお国言葉が消えていってるようですが、これもある意味、残念なところがありますね。
2007/08/09 (木)
祈りの長崎
今日は長崎の原爆の日でした。市長の平和宣言には非常に明確にメッセージがこめられていたように感じます。けど、長崎より広島のほうがインパクトが強い感じがするのは、先に行われるからでしょうかね。それとも投下時間のせいなのかなぁ。
さすがに「しょうがない」おじさんは出席できなかったようですね。「しょうがなくない」首相は出席されてたようですが、軍隊持ちたがっている人は、何を考えながら式典の進行を見守っているのが、会って聞いてみたい<無理だよ
広島といえばすぐに原爆ドームを思い浮かべるという感じですが、長崎はグラバー亭だとか出島だとかめがね橋だとか、いろんなところを一緒に思い浮かべるからかもしれません。なぜ、めがね橋かというと……、そこでコンタクトレンズ落としちゃって、エライ目にあったからなぁ(^_^;)
怒りの広島、祈りの長崎と言われるように、長崎のメッセージは穏やかな感じがするからでしょうか。でも、静かな怒りこそ、本当の怒りってこともありますよね。
さすがに「しょうがない」おじさんは出席できなかったようですね。「しょうがなくない」首相は出席されてたようですが、軍隊持ちたがっている人は、何を考えながら式典の進行を見守っているのが、会って聞いてみたい<無理だよ
広島といえばすぐに原爆ドームを思い浮かべるという感じですが、長崎はグラバー亭だとか出島だとかめがね橋だとか、いろんなところを一緒に思い浮かべるからかもしれません。なぜ、めがね橋かというと……、そこでコンタクトレンズ落としちゃって、エライ目にあったからなぁ(^_^;)
怒りの広島、祈りの長崎と言われるように、長崎のメッセージは穏やかな感じがするからでしょうか。でも、静かな怒りこそ、本当の怒りってこともありますよね。
2007/08/08 (水)
日記デー
今日は日記デーなのだそうです。日記といえば、私なんかは小学生の夏休みの宿題「朝顔の観察日記」なんてのしか思い浮かべないのですが、日記を書いている方ってけっこういるのかしらね?
ブログというのも「日記」という位置づけもあるようですが、やっぱりこれは室が違うなぁと思います。公開を原則としているのは、やっぱり日記じゃないような……。でも、それなら土佐日記などはどうーするんじゃって感じ?
日記デーなんていうものがあるのも知りませんでしたが、将来はブログデーなんていうものもできるんですかね(^_^;)
そういえば10年日記というのがあるんですね。1日分のスペースは極小さいですが、けっこう分厚いノートブックになっています。去年の今頃……、一昨年の今頃……、何をしていたかが自己確認できるっていうわけ。意味があるような、ないような(笑)
日記じゃなくても、スケジュールなんか書き込んだ卓上カレンダーが数年分、捨てないでその辺に投げてある私は、去年の今頃、一昨年の今頃、仕事中心ですが、だいたいどんな生活をしていたがわかります(笑)
ブログというのも「日記」という位置づけもあるようですが、やっぱりこれは室が違うなぁと思います。公開を原則としているのは、やっぱり日記じゃないような……。でも、それなら土佐日記などはどうーするんじゃって感じ?
日記デーなんていうものがあるのも知りませんでしたが、将来はブログデーなんていうものもできるんですかね(^_^;)
そういえば10年日記というのがあるんですね。1日分のスペースは極小さいですが、けっこう分厚いノートブックになっています。去年の今頃……、一昨年の今頃……、何をしていたかが自己確認できるっていうわけ。意味があるような、ないような(笑)
日記じゃなくても、スケジュールなんか書き込んだ卓上カレンダーが数年分、捨てないでその辺に投げてある私は、去年の今頃、一昨年の今頃、仕事中心ですが、だいたいどんな生活をしていたがわかります(笑)
2007/08/07 (火)
立秋
今日から秋? これから夏本番でしょう(笑) 秋の気配が立つ日ということですが、よーく自然を観察してみると、虫の声なんかに秋の気配があるのでしょうか? 今日からは暑中見舞いではなくて、残暑見舞いですよ〜、みなさん。
身内がひとり身罷りまして、葬儀を終了させました。途中、転院騒ぎもあったりして、現代の終末医療のあり方や、医療の質や量について考えさせられることも多くありました。
人が死亡するときは潮の満ち引きに関係があるらしいという話は聞いたことがありましたが、自発呼吸が止まったのはどんぴしゃり干潮時でした。引力の関係なんでしょうかね。ただの偶然かな。台風が来てたけど、気圧の関係もあるんでしょうかね。
大学病院は至れり尽くせりの手厚いケアをしてくださり、現代の医学ったら、ほんとうにすごいもんだと思いつつ、医学じゃ勝てない自然の摂理ってものがありそうな感じ。
でも、私は医師の手にはかからず、ぽっくり寺に頼りたいなぁと思うのでありました。PPKというのだそうですね。まあ、こればっかりは思い通りにはいかないんだけどね、誰でも。
身内がひとり身罷りまして、葬儀を終了させました。途中、転院騒ぎもあったりして、現代の終末医療のあり方や、医療の質や量について考えさせられることも多くありました。
人が死亡するときは潮の満ち引きに関係があるらしいという話は聞いたことがありましたが、自発呼吸が止まったのはどんぴしゃり干潮時でした。引力の関係なんでしょうかね。ただの偶然かな。台風が来てたけど、気圧の関係もあるんでしょうかね。
大学病院は至れり尽くせりの手厚いケアをしてくださり、現代の医学ったら、ほんとうにすごいもんだと思いつつ、医学じゃ勝てない自然の摂理ってものがありそうな感じ。
でも、私は医師の手にはかからず、ぽっくり寺に頼りたいなぁと思うのでありました。PPKというのだそうですね。まあ、こればっかりは思い通りにはいかないんだけどね、誰でも。
2007/08/06 (月)
原爆の日
今日は62年前に広島に原爆が投下された日ですね。うちは広島とちょっとご縁のある家庭ということもあって、むかしは朝、テレビと一緒に家族で黙祷をしていたものですが、最近は寝坊癖がついて、気づくととっくに黙祷の時間が終わってしまっていたりします。申し訳ないことです。今日はなんとか起きることができました。
原爆資料館には、3回行きました。1回目に行ったときは、いまの場所ではなくて、もっと暗くて陰惨な感じがダイレクトに伝わっていたような気がするのですが、はじめてだったからそう感じただけなのでしょうか。でも、確かに引越しはしているような気がするんですけど。2回目に行ったときに、前の建物と違うんじゃないかと思った記憶があるのですが。勘違いかな。
3回目に行ったのは数年前ですが、そのときは友人と一緒でした。年代はいろいろな人たちの集まりですが(なにせ、市民球場に野球を見に行ったのだから(^_^;)、資料館を見学した後に「子どもには見せたくない」「孫には見せたくない」という人がいたので、ちょっと驚きました。「小さな子に見せるには悲惨すぎる」というのがその理由。そして、もう二度と見たくない、とか。逆なんじゃないかなぁとちょっと思いました。そのこと、いまでもちょっと心に引っかかってます。
原爆資料館には、3回行きました。1回目に行ったときは、いまの場所ではなくて、もっと暗くて陰惨な感じがダイレクトに伝わっていたような気がするのですが、はじめてだったからそう感じただけなのでしょうか。でも、確かに引越しはしているような気がするんですけど。2回目に行ったときに、前の建物と違うんじゃないかと思った記憶があるのですが。勘違いかな。
3回目に行ったのは数年前ですが、そのときは友人と一緒でした。年代はいろいろな人たちの集まりですが(なにせ、市民球場に野球を見に行ったのだから(^_^;)、資料館を見学した後に「子どもには見せたくない」「孫には見せたくない」という人がいたので、ちょっと驚きました。「小さな子に見せるには悲惨すぎる」というのがその理由。そして、もう二度と見たくない、とか。逆なんじゃないかなぁとちょっと思いました。そのこと、いまでもちょっと心に引っかかってます。