三囲神社は不思議空間
近江国三井寺の僧源慶が東国を巡礼していた途中で、隅田川のほとりに荒れ果てた小祠を発見。弘法大師が建てた由緒ある祠だというのに打ち捨てられていることを悲しみ、再建しようと地面を掘ったところ、白狐にまたがった神様が納められたの壷と白狐が出てきて、白狐は神様のまわりを三度めぐって消えたというのです。この話が伝えられ、「みめぐり」神社の名が起こったということです。
社の背後にはたくさんの赤い鳥居が通路のように建っていて、暑い盛りの都会の中なのに、静かでどことなく深閑とした雰囲気が漂っていました。鳥居の突き当りには狐を祀った社、鳥居の横には「老翁老嫗の石像」があり、妙に存在感があります。
この石像は、元禄時代に三囲神社の白狐祠を守っていた老夫婦だといいます。祈願しようとする人が老婆に頼むとどこからともなく狐が現れて願いごとを聞いてくれるとのこと。他の人が呼んでも現れることがなかったといいますから、もう二度とお狐様を見ることはできないのでしょうね。三囲神社は古くて小さな神社ですが、なんだか神秘的な気配の漂う場所であります。
七福神
先日、七福神めぐりの簡素といわれる隅田川七福神を訪ねて三囲神社に行ってきたわけですが、七福神は全国に400ヵ所以上あるそうですね。七福神めぐりは一般に正月行事ですが、通年で実施している寺社もたくさんあります。隅田川七福神も常設の看板が出てました。スタンプも置きっぱなしのようです。でもご神体の拝観や、御朱印を望むのなら、基本的には松の内に行く必要があるでしょうね。
七福神を構成する神々は、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、寿老人、福禄寿で、室町時代にはもうそれらしき神集団があったといわれますが、いまの神々編成が確立したのは江戸時代になってからといわれています。
江戸の風流人、佐原鞠塢が向島に「百花園」を開いたとき、たまたま彼が福禄寿像を所持していたので、やはり風流人として知られる太田蜀山人などが七福神遊びを思いついたという説があります。
隅田川七福神は風流人たちの遊びがもともとの発祥? なんでも洒落のめちゃうようなところのある江戸を代表する文化人による本邦初のスタンプラリーってところでしょうか。御朱印がスタンプにかわり、神様が私鉄の駅になったりして、現在に引き継がれているような(笑)
スタンプ
三囲神社に祀られている七福神は恵比寿さまと大黒さまです。なぜか、ここだけは同居。恵比寿さまは商売繁昌、除災招福の神様。日本国の親、伊邪那岐命、伊邪那美命の第三子といわれ、本来は豊漁の神であったものが、後に商売の神として信仰を集めるようになったものです。 大黒天は五穀豊穣、子孫繁栄の神様で、福徳開運、財産授与のご利益もあり、人々に愛されています。お顔も、どの絵をみても福々しくて憎めない感じですよね。
恵比寿&大黒の社
江戸時代人はあちこち巡るのはかっこうの暇つぶし、遊びだったようですが、現代人は忙しいので?七福神を自分の手元に集めちゃうという縁起物はなかなか人気のあるアイテムです。
ラベンダー
家の近くに生垣のかわりにラベンダーを植えている畑があります。畑そのものがもはや希少価値になりましたが、近くを通るとほんのりと花の香りが漂ってきます。ラベンダーは「癒し系」の香りだそうで、ベッドにもちこめばよく眠れるなどといいますが、個人的にはあまり好きな香りでもないのですが。
このラベンダーには、小さなミツバチがいっぱい取りついて蜜を収集しています。どんな味の蜂蜜になるんでしょうね。ラベンダーの蜂蜜というのは食べたことがありませんが。ここにいるミツバチは、どこかで蜜を搾取されるために雇用されている鉢ではなく、どうも野生のような気がします。近くに養蜜場があるなんて聞いたこともないし。
ラベンダーを摘みたい人は有料で摘ませてくれます。それを摘んで庭に植えてみたのでしょうか、近所には庭にラベンダーがあるお宅がけっこうあるようです。我が家はまだ未挑戦ですが、我が家の庭では凌霄花(ノウゼンカズラ)が満開。
お富士さん植木市(浅間神社)
そこで、富士山信仰を中心とした「富士講」が結成され、富士山を拝む場所として浅間神社がつくられたそうなのです。で、浅間神社は「お富士さん」の愛称で親しまれてきました。
昔は富士に似た清涼で小いさな丘であった土地に、静岡県富士市の浅間神社から神様が分祀され、浅草の浅間神社になったのだそうです。浅間神社の「富士山の山開き」に植木市が開かれるところから「お富士さんの植木市」と呼ばれるようになりました。この植木市で買った木は、良くつくと言い伝えられていますが、ちょうど入梅期で、植木を移植するのには最適な時期ということだそうです。
東京で山開きとは不思議な感じがますが、東京には浅間神社系の神社などにけっこう富士塚というものがあり、それらが富士山の山開きである7月1日前後に塚を富士山に見立てて山開きをするとのこと。浅草の浅間神社には富士塚はありません。かわりにといっちゃーなんですが、植木市が開かれ、これが有名になったようです。屋台や金魚すくいなど、昔懐かしい縁日の風情もあります。
富士塚はなくとも、境内には「茅の輪」が設けられていました。この輪を作法にのっとってくぐってから参拝すると、半年の(茅の輪祓いは6月と12月に行われるので)罪や穢れが祓われるのだそうです。しっかり、祓ってもらってきましたよ。
しかし、かつては大賑わいだった市も、近年では寂しくなったとか。「庭のある家に住んでいる人が少なくなっちゃったからねぇ」と植木屋さんが言ってました。植木市で売られてるのも、鉢やプランターなどで育てられる小ぶりできれいな花をつけた草花が主流のようです。きれいだけどね。
寂しくなった理由の一つに駅からとお〜い〜っていうのはないかしらね。浅草駅から15分以上は歩くのでは? 植木買っても運ぶの大変(^_^;) その上、この辺は駐車場が少ないですよね。コインパークがちらほらあるけど、たいてい2、3台、多くて5台ぐらいしか停められなくて、どこも「満車っ!」って書いてある。そして、民間駐車監視員という人が、よく働いてました。暑いのにご苦労さまなことです(-_-;)
実は、向島に行ったときに、諸般の事情でクルマだったのですけど、パーキング探すだけで30分以上かかり、あげくに目的地まで徒歩10分以上のところにしか空がなかったというにが〜い経験をしたばかりです。くれぐれも、下町には電車で行きましょう!(笑)
三囲神社
三囲神社(東京都墨田区)は「みめぐり」と読みます。「憑神」の中ではこの神社と間違えて「三巡神社」を拝んじゃったから、さあ大変。この神社は貧乏神、疫病神、死神の三巡神社だったというお話です。
霊験あらたかとされ、榎本釜次郎もこれを拝んだから出世できたとか。だから、行ってみました。というわけではなく、ここに「雨乞いの碑」があるというので、時節柄、雨乞いが必要かと思って行ってみたのです。というのもウソで、七福神発祥の地、隅田川七福神っていうのを見て歩こうかなと思っていたのを、これを機会にってなわけです。何が「これ」なのかは不明ですが(笑)。七福神巡りっていうのも、思いっきり季節はずれですよねぇ。
雨乞いの碑というのは「宝井其角『ゆふたちや』の句碑」というのが正式名称のようで、碑の前に「元禄6(1693)年は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人其角が、このありさまをみて、能因法師などの雨乞いの故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだのです。この話は其角自選句集の「五元集」にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように早速効果があったと伝えられています」という説明文がありました。
三囲神社の境内には「雨乞いの碑」のほかにもたくさんの大きな句碑があります。不勉強でわけわからんのですが、この神社と句、なにか深い関係があるのでしょうか?
もう一つ興味があったのは三本足の鳥居です。不思議ですよね。鳥居が囲んでいるのは井戸です。背後には三本足で丸い屋根を支えた手水鉢もあります。屋根には三井家の家紋があり、三本足の鳥居は三越にもあるということです
三越はかつて京都の呉服商「越後屋」であり、これを興した三井家は現在の三重県松阪市の武家だったとか。三囲神社にある三本足の鳥居は、かつて三井家にあったものが移築されたと聞きました。三囲神社と三越、なみなみならぬ縁があるようですが、三つながり?(^_^;)
長くなるので、七福神についてはまたいずれ。ちなみに出世をお願いするのをすっかり忘れてしまって、向島の街を歩き、帰りに思い出して、「追伸ですが」と一応、頭をさげてきました。まあ、年寄りがいまさら出世といってもねぇ(^_^;)