ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/10/17  (水) 

保福寺(甲斐霊場21番)

甲斐霊場めぐりの21番は、108の中でひとつだけポツンと離れて上野原市にある安寧山保福寺です。上野原市は山梨県で最も東部に位置する街、もっとも東京に近いところにあります。お寺の入り口、山門脇には「萬霊等」と「月見寺」と書かれた大きな石碑があります。萬霊等は高さが3メートルほどあり、県内でも有数の大きさを誇るそうです。

  

山門には「安寧山」の扁額が掲げられていますが、この書は承天禅師の手によるもの。承天禅師は高輪泉岳寺の僧で、討ち入り後の赤穂四十七士を山内に招き入れたことで有名です。そして、こう言っちゃーなんですが、けっこうどこでも見かける芭蕉の句碑もしっかり並んでいます(笑)
 
「月見寺」という石碑があるのは、保福寺は別名、月見寺と呼ばれているからです。甲州を舞台にした中里介山の長編「大菩薩峠」の中で「甲州上野原の報(保)福寺、これを月見寺と唱えるのは、月を見る趣が変わっているからです……」と書かれたことに由来するそうな。不勉強で、この小説を読んだことはありませんが(たぶん、一生、読みそうもない(^_^;)
 
保福寺は1582(天正10)年に武田信玄の重臣で、上野原城主であった加藤景忠が開いた曹洞宗の寺ですが、このお寺が創建された年に武田氏は滅亡し、加藤景忠もそれから1カ月後には武州多摩で討ち死にしたとか。さぞや、無念だったでしょうね。広々とした境内には三途の川に模された川が流れてますが、加藤景忠さんもここを渡ったのでしょうか。本堂の背後には広大な墓苑が開かれていて、お墓所だけで1万坪あるそうです。住職さんが管理やお掃除が大変なんだとおっしゃってました。お墓参りも、お参りというよりは山登り? 
  

創建は16世紀ですが、1751(宝歴元)年に火災で本堂や庫裏などを焼失。ご本尊だけは住職や檀家集の手で救い出され、1756(宝歴5)年に再建されたそうです。それでも350年前。そこで、来春には取り壊して建て直し、新しい本堂が完成するのは2009年の予定だとか。「この建物を見られるのは、いまが最後ですよ」と、住職さん。住職さんやお寺の方が気軽に案内してくださいます。

  
「えーっ、もったいない」と思わず言ってしまったのですが、建物の老朽化が激しく、ちょっとした地震でも崩壊しかねない状態なのだそうです。取り壊しに関しても、そうとう慎重に、計画的にやらないといつ屋根が崩落するか……と。そういえば、屋根の重さに対して柱がやや細いように感じられました。本堂の前に、新しく建てられる本堂にはミャンマーチークを使いますと書いてありました。

  

樹齢200年の天然のミャンマーチークは、伐採してからも200年間は風化しないといわれています。チークは、ミャンマー、タイ、インド、カンボジア、 ラオス、ベトナムなど、東南アジア各国に生育していてますが、その中でもミャンマーが質、量ともに世界一といわれています。そこで、なるべく長く保存することが必要とされる仏教寺院などではミャンマーチークが多く使われているそうです。熱帯で雨が多いミャンマーで育ったチークは、高温多湿に強いので、梅雨あり猛暑ありの日本の気候には、ミャンマーチークがぴったりなのだとか。お寺の保存、管理もなかなか大変なんですね。



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