ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/23  (日) 秋分の日

愛宕神社「出世の石段祭」

昼間は「趣味=昼寝」に費やし、夕方から愛宕神社のお祭りに行ってきました。愛宕神社は1603(慶長8)年、江戸の防火を祈念する神様として徳川家康の命によって造られた神社です。主祭神は火産霊命ですが、火を産んじゃいけないんじゃないかなぁ。境内には他に末社として猿田彦(天狗)を祀る太郎坊や福寿稲荷、大黒天、弁財天などの社があります。
  
愛宕神社の例大祭は「出世の石段祭」と呼ばれていますが、これは神社に上がる石段が「出世の石段」と呼ばれているからです。ものすごく急な石段で、上から降りようとするとちょっと背中がぞわっとします。数えてみたら85段ありましたが、途中に踊り場はないので、落ちたらまっさかさま。死亡事故になりかねません。今日も巡回の消防署員が「ハイヒールの方は、手すりにつかまって降りてください!」なんて、声を張り上げていました。私はスニーカーだったけど、やっぱり手すりにすがって降りました(^_^;)
上から  下から 
その石段を神輿が昇り降りするっていうんですから、すごいお祭です。見物人を押し戻す警備もしっかりやってましたし(かいくくぐったわけじゃありませんが、階段の一番上で写真を撮ってる私もいい根性でしょ?)、下で大型の救急車も待機していました。
 
宮司の御霊移しの儀式が終わると、景気のいい祭太鼓の響きに送られて、神輿はこの石段を気勢を上げながら降りていきます。まずは一基。下に到着すると大きな拍手が沸きました。続いて「この御印籠が目に入らぬか」でお馴染みの葵の御紋の入った大きな神輿が続き、宮司らがその後に続きます。これも下に到着すると盛大な拍手。そして神輿は街へともみだして行きました。
 
本当なら帰ってくるのを待って、「出世の石段」登るところを見なければいけないのだけれど、3時間半も待たねばなりません。お財布もってくの忘れちゃって(パスモがあれば移動はできる〜♪)、お茶も飲めない(-_-;) 私の場合、所詮「出世の石段」は下る一方だろうと納得して、今日は引き上げました。
  
「出世の石段」の名称は講談「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎の故事に由来するそうです。1634(寛永11)年、三代将軍家光愛宕神社の下を通りかかり、美しい梅が咲いているのを見て、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と言ったとか。ずいぶん、横暴なお殿様ですね、家光は。馬でなんか、絶対、無理ですよ、この階段。そのとき登っていったのが、四国丸亀藩家臣の曲垣平九郎という人。家光から「日本一の馬術の名人」と讃えられて、それから出世したというので「出世の石段」と呼ばれているとか。
  
愛宕神社のある愛宕山は標高27.5メートル、東京23区内ではもっとも高い山です。1868(明治元)年、勝海舟と西郷隆盛はこの愛宕山に登って江戸を見渡し、「この町を焼いてしまうのは忍びない」と談合して江戸城の無血開城に踏み切ったとか。現在は、ビルが建ち並び街並みなどは見えませんが、かつてはきっと見晴らしのよい都会のオアシスだったのでしょう。

  

縁日ガイド」にも写真を紹介しています。動きが大きいのとお天気がイマイチでけっこう手ブレてますけど(-_-;)



縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!
縁起物のお買い物なら縁起堂本舗へ 送料無料&最大3割引!

上に戻る




谷保天満宮「大祭」
草津よいとこ!?