ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/15  (土) 

慈雲寺(甲斐霊場第10番)

天竜山慈雲寺は、臨済宗のお寺で、14世紀、南北朝時代に京都の天龍寺を開山した僧として有名な夢窓疎石によって開かれたと伝えられています。 道路から離れた田園の中にあり、静かで落ち着いた雰囲気のお寺です。
 
甲州市の天然記念物に指定されているイトザクラの巨樹があり、きっと春には美しい花を楽しませてくれるのでしょう。このイトザクラは、ウバヒガンの変種というもので、樹齢は300年ぐらい、枝が四方に垂れ、糸が垂れているような形に見えることからイトザクラの名があるようです。淡紅色の可憐な花を咲かせるとのこと、春になったらもう一度、この桜を見に来てみたいものです。いまの季節はお庭も一面の緑という感じで花は少ないですが、よく手入れされていながら、あまり人工的な感じがせず、くつろげるお庭です。
  
ここには樋口一葉の文学碑が建っています。幸田露伴が碑文を書き、賛助者として坪内逍遙、与謝野寛、与謝野晶子、森鴎外、田山花袋、佐藤春夫などそうそうたるメンバーが名を連ねています。しかし、なぜ、ここに樋口一葉? 
 
一葉は1872(明治5)年3月25日東京生まれ、1896(明治29)年11月23日没。24歳という短い生涯だったんですね。この24年間に何か慈雲寺との関係が生まれていたのかと思ったら、関係があるのは一葉のご両親だったのです。
 
江戸末期に当時の住職が寺小屋を始め、のちに樋口一葉の両親がここで知り合い、ここで学んだのだそうです。ここは樋口家の菩提寺でもあったようです。この文学碑は、1916(大正5)年に一葉の妹、邦子が先祖の墓参に訪れたときに、世話をしてくれた人と「一葉の碑をこの地に建立し、後世まで遺したい」という相談がまとまり、大正11年10月に建てられたと説明されていました。
 
2004年から樋口一葉が5000円札の肖像になったことを記念して、お寺の入り口には新しい一葉の石像も立てられています。観光資源にしたいというお考えがあるのでしょうが、桜の季節以外はあまり人も訪れないような、静かな風情のままいてほしいような。初めて来たくせに勝手なことを言うなって感じですけど(^_^;)



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