恵林寺(甲斐霊場第9番)
乾徳山恵林寺、「えりんじ」と読みます。甲斐武田氏の菩提寺として武田信玄の葬儀が行われた臨済宗の寺院です。14世紀初頭、鎌倉時代に開山され、一時は荒廃したものの、1564(永禄7)年に武田晴信(信玄)によって復興されたお寺だそうです。
信玄が没したのは1576(天正4)年、その6年後の天正10年には織田軍によって焼き討ちにあったということで、波乱万丈な歴史を経てきた寺院のようです。このとき、快川和尚が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と言って焼死したことが有名です。こんな故事は知らなくても「心頭を滅却すれば……」というのは、誰でもどこかで聞いたことのある言葉ですよね。
宝物殿もあります
のちに徳川家康によって再興され、5代将軍綱吉時代に甲斐の領主となった柳沢吉保が大規模な修復をはかったとのこと。信玄の墓所がある本堂裏の西側には、柳沢吉保夫妻の墓もあります。
さすがに信玄の廟があるお寺らしく、でっかい!という印象です。本堂を拝観するためには拝観料300円なり。入ってみようかしらと思っていたら、どーっと団体さんが……。大型観光バスが着いたようです。「越後交通」という旗をもったガイドさんが少なくとも4人はいたので、200人近い人々でしょうか。そっか、今年は風林火山ですからねぇ。あまりの人ごみに圧倒されて、中に入るのは見合わせました。また、ブーム?が去った後にでも機会はあるでしょう、と。
寺院も大きいですが、境内もお庭も立派なものです。これまで回ってきたお寺の中では群を抜いていました。南北に長い敷地の南端には「雑華世界」の偏額がかかる黒門、長い参道を200メートルぐらい進むと重要文化財の四脚門(赤門)、ここを入ると明るく広い庭園になっています。ここには茶店や売店などもあって、観光客があちこちのベンチに腰をかけくつろいでいます。この庭の北端には県指定文化財の三門、その先に開山堂、本堂、庫裏などが建っています。いや、本当に広い! ここより大きいのは身延山久遠寺ぐらいでしょうかね。
あまりの人の多さに行ってみなかったのですが、裏手にある庭園は1944(昭和19)年6月26日に国の名勝に指定されているそうです。上段が枯山水、下段が心字池を配した池泉回遊式で、「その規模の大きさと美しさは他に類を見ない」と言われます。この辺りの寺院をあと100近くうろうろしようという目論見なのですから、人の少なそうなときにまたゆっくり訪ねたいと思います。
こんな大きなお寺で、訪れる人も多いのに、御朱印を僧侶が筆をとって一つ一つ手書きしてくださるのは、当たり前の風景かもしれませんが、ちょっと驚きました。小さなお寺でも印刷、あるいは複写したものに判だけ押して日付を書き込むというところが多いので。汗だくで御朱印を書いてくださっている僧侶の前には、御朱印帳が山のように積まれていました。団体さんより一歩だけ、先に御朱印帳を差し出したのは本当にラッキーでした(^_^;)