ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/07/06  (金) 

善光寺(甲斐霊場第1番)

川中島の戦いのとき、武田信玄が信濃善光寺が戦火に消失するのを恐れてご本尊の阿弥陀如来をはじめ、数々の寺宝を甲府に移し、甲斐善光寺をを建立して、こちらに収めたということになっています。長野県人に言わせると、「奪われた」と(^_^;)  これが1558(永禄元)年のことらしいです。武田滅亡後、ご本尊は織田、徳川、豊臣を流転し、1597(慶長2)年に秀吉によって信濃へ返されたと伝えられています。
 
本堂の建築は信濃と同じ規模と形式が取られたという資料が残っているそうですが、1754(宝暦4)年の火災で焼失し、現在の金堂、山門は、1796(寛政8)年に再建されたそうです。撞木造とよばれる形式で、善光寺建築ともいわれるそうです。高さ27メートル、奥行49メートル、日本有数の木造建築として、重層建築の山門とともに重要文化財に指定されています。かなり遠くからもしっかり発見できる立派な建物です。
 
本堂の天井には竜の絵が描かれていて、手をたたくと反響して共鳴が起こります。いわゆる「鳴き龍」と呼ばれますが、ここの鳴き龍は日本一の規模だそうです。信濃同様、痛いところを撫でると治るというおびんずる様も鎮座していらして、みなさんにさすられてだいぶ痩せておられました。
  
本堂の下には、お戒壇廻りもありました。闇の中を手探りで歩いていくと中程に扉があり、その鍵に触れると仏様と縁をもったことになり、ご利益を得ることができるという仕掛けです。このお戒壇廻りは信濃善光寺にもありますね。信濃で廻ったことがあるので、今回はやめました。NHK大河ドラマ効果はてきめんで、平日なのに観光客がけっこう来てましたので。
 
善光寺といえば牛でしょう、というわけで境内には牛塚もありました。信濃善光寺ほどの規模や賑わいはありませんが、こじんまりした風情のあるたたずまいを見せています。
  
ここが甲斐百八霊場の第1番。御朱印帳を買って、さっそく1ページ目に御朱印をいただきました。いざ、第2番光福寺へ。

 御朱印帳1500円也



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霊場めぐり
光福寺(甲斐霊場第2番)